鉄道による南北分断を解消し、
真にコンパクトシティを実現。
行政などは城址付近に集約
大分県庁、大分市役所、法務総合庁舎、中央警察署、税務署のほか、金融や証券、銀行などが、大分城址付近には集約されています。大分城址の南側の大分駅との間には、商店街が集まり、繁華街が発展します。さらに明治44年と近代史では早い時期に、今度は大分城址の北側にある海浜地区が埋め立てられると、大分市は重工業を受け入れた都市にバージョンアップします。
大正、昭和と城の北側の海浜地区、城の南側を商業地区として発展させてきた大分市ですが、この急成長するエリアに対して時代に取り残されてしまった地区があると言います。それは「城の南側に出来た国鉄駅の、さらに南側なんです」と大分市都市計画部駅周辺総合整備課(以下、総合整備課)は語りました。
大分駅を中心に生まれた南北格差
かつての大分駅は地上駅で、つまり駅を中心に俯瞰して見ると、駅の北側エリアは商店街、繁華街、さらに官公庁や金融などの業務エリアが広がっています。しかし駅の南側は北側の賑やかさから、なかば取り残された空間として、南北間で格差が生まれてしまったと言います。
「駅を中心に都市が南北に分断され、市街地としての一体的な発展を妨げている」。そこで「駅による分断を解消し、駅周辺の低未利用地を価値の高いエリアに再生させ、南北を一体化させたコンパクトな街作りを計画」と、単なる街の一区画の再開発でなく、大分市全体の一体化、コンパクト化という視点を取り入れた大分駅周辺総合整備事業です。
大分駅周辺総合整備事業
大分駅周辺総合整備事業は、大分県がJR大分駅の高架化を行い、大分市が区画整理によって駅周辺の基盤整備を実施、さらに大分駅周辺の幹線道路を国土交通省・大分県・大分市の役割分担のもとで整備を行うという、まさに大分駅周辺を総合的に整備する再開発事業です。
それまで駅南側は、国鉄の鉄道操車場や鉄道病院跡地、木造住宅など利用の低い土地や空き地が多数点在していましたが、、再開発では、全国でトップクラスの幅員 100メートルの緑のシンボルロードを誕生させます。現在「シンボルロード"大分いこいの道"は、緑溢れる芝生広場を有する新たな市民の活動拠点であり、にぎわいや憩いの場として親しまれています」、「文化施設としてホルトホール大分も完成させました」。その結果として「周辺には住居用マンションなどが増え、街の付加価値向上に繋がった」と総合整備課は語ります。
市民による市民のための道
シンボルロード"大分いこいの道"は、市民ボランティア組織によって維持、運営、管理されていると言います。「実は、植えられている植樹は市民の手によるものです。また大分いこいの道、という名前も市民投票で決めました」。イベントなども市民参加型で実施されているとのこと。
広場には巨大なリングがありますがあれは何でしょうか、とお聞きしました。「市政施工時からの100年間の各年の人口を直径に置き換えたモニュメントです」。2011年の市政100年時に置かれたもので、まさに市民による市民のためのシンボル(象徴)となっていました。
店舗・事務所の延床面積が急増
こうした大分駅南土地区画整理事業により、多くの地方都市で抱えている人口の流出がストップしたと言います。30代、40代とその子供世代の居住数が増加傾向にあり「いわゆる街が若返ってきた」と喜びを隠しきれません。それに伴い平成23年度以降、区画整理地区内の店舗・事務所の延床面積は急増し、住居だけでなく、働く場所の環境も整いつつあるようです。さらに街中の滞留時間が増えたようです。
「まだ事業完了していない中での良い結果」の次は「駅周辺の、人、バス、鉄道、タクシー、自転車などとの連携を深める計画が残っています」。ますます暮らしやすい、そして働きやすいコンパクトシティが育っていくようでした。
取材手記
大分というと関東出身の人間ですと温泉というイメージが強いかと思います。実際、大分空港には足湯が用意され"温泉の県"をアピールするポスターが多く貼られています。しかし大分市に出向くと、特に別府湾を臨む海浜エリアには、温泉とは全く異なる工業地帯が広がっていました。しかも明治末期から開発が進んでいたと言う話しを伺い、日本の近代化にはかかせない大分市であることを、改めて発見した取材でした。
*平成28(2016)年4月の熊本地震による被害は大分市は少ないと聞いておりますが、この場を借りしましてお見舞い申し上げます。編集部ライター・渡部恒雄
■記事公開日:2016/10/30 ■記事取材日: 2016/09/27 *記事内容は取材当日の情報です
▼編集部=構成 ▼編集部ライター・渡部恒雄=文・撮影 ▼KAME HOUSE=イラスト地図 ▼取材協力・空撮等資料提供=大分市都市計画部駅周辺総合整備課