再開発で見えてきた、
秋葉原・岩本町エリアの魅力とこれから。
マニアックなイメージが刷新された、東京の新しいオフィス街
かつては日本一の電気街として知られた秋葉原。若者を中心としたカルチャーの発信拠点でもあり、「クールジャパン」の象徴として世界中から注目される文化のメルティング・ポット(人種のるつぼ)として個性を放ってきました。
そんな秋葉原に"変化の兆し"が見え始めたのは2000年以降のこと。つくばエクスプレス秋葉原駅の開業を皮切りに、秋葉原駅を境として東西の駅前エリアが再開発され、超高層オフィスビルや大型複合施設が相次いで開業。現在の秋葉原は、かつて漂っていたマニアックなイメージが刷新され、さまざまな情報が集い、次世代のビジネスを創造してゆく熱気とエネルギーに満ちたビジネス街に変貌しつつあります。
また、秋葉原の変化に呼応するように変わりつつあるのが、神田川を挟んだ南側に位置する岩本町エリアです。10数年前までここは、専門性の高い会社が密集した下町風情が溢れるエリアでしたが、現在の街並みは大きく変わり、「交通利便性」というメリットを強みとした注目のビジネスエリアになっています。
電気街から次世代マルチメディア社会の活動の場へ【再開発① 電気街口エリア】
秋葉原の再開発事業は東京都の肝煎り政策の1つ。目指しているのは「秋葉原を東京のIT拠点にする」ことです。都が策定した『秋葉原まちづくりガイドライン』に目を通すと、秋葉原の将来的なビジョンを"次世代マルチメディア社会の活動の場"としており、「24時間都市としての社会基盤の整備」を課題に挙げています。
その実現に向けて、秋葉原駅の西側、電気街口エリア(青果市場跡地:1万5,740㎡)でおこなわれた再開発が、『秋葉原クロスフィールド』計画です。これは、"世界的なIT拠点の形成"を標榜した複合施設の建設で、最先端のIT技術を駆使した「秋葉原ダイビル」と「秋葉原UDX」という超ハイスペックのオフィスビルを中枢に構築されています。秋葉原電気街振興会によると、2006年のこの施設の開業以降「秋葉原にスーツ姿のビジネスマンが増えた」そうです。
エリアの開発にあたっては、秋葉原の街並みとの調和を考えて基本計画が立てられたそうです。かつての電気街口周辺は、中小規模ビルの合間を縫うように細い路地が走っていました。そこにいきなり高層ビルが誕生すれば、威圧感で街並みが崩れます。そこで秋葉原クロスフィールドの2つのビルは、オフィス部分を地上20mの高さからと定め、低層部には吹き抜けの大空間を設けて開放しています。将来的に周辺エリアでも再開発が進めば、街並みの変化に合わせて低層部をリニューアルできる可変性を持たせるなど、"秋葉原新時代"の到来に先駆けて、再開発の先達者たちは準備も抜かりありません。
寂れた貨物駅跡地が美しいビジネスエリアに【再開発② 東口エリア】
秋葉原駅の東側一帯は、旧国鉄の貨物駅跡地(1万6,620㎡)の土地をJRが手放したことで再開発事業の機運が加速しました。今でこそ駅前に開業した国内最大級の大型複合商業施設を中心に賑わいを見せるエリアとなっていますが、もともと繁華街だった電気街口エリアとは異なり、長らく"手付かずの空き地"だったこのエリアは、街区内の歩行者動線は未整備で、電柱や電線類が露わとなった人通りの少ない寂れた印象のエリアでした。前述した街振興会によれば、2005年のつくばエクスプレス開業を迎えても「街の様子が大きく変わることはなかった」そうです。
こうした状況を一変させたのが、『神田練塀町地区第一種市街地再開発事業』です。貨物駅廃止以来、実に40年以上の月日を経て、2017年1月から街の再開発が事実上スタートしました。これにより、昭和通りから賑わいを呼び込む"ゲート広場"を新設し、オフィスと住居からなる高層複合ビルを建設するなど、計画的な街づくりがおこなわれ、現在では、新しいオフィスビルが整然と建ち並ぶ美しいビジネスエリアへと変貌しています。
また、再開発によって駅前の活性化が進んだことで、休日は埼玉、千葉からのつくばエクスプレス利用者が増え、その利便性が再認識されることにもなりました。当然ながらそれは、JR秋葉原駅の利用者数にも反映され、2020年の『JR東日本エリア内の1日平均の乗降客ランキング』では、JR川崎駅に次いで11位と大健闘。現在の秋葉原駅は関東有数のハブステーションにもなっています。
下町風情が息づく"裏秋葉原"【佐久間町・和泉町エリア】
再開発がおこなわれた東口エリアから、昭和通りを挟んだ一帯に広がる佐久間町は、変化し続ける秋葉原の活気に寄り添いながらも、東京の下町風情が息づく特殊なビジネスエリアと言えるでしょう。その背景には、昭和の時代から現在に至るまで、地域住民の変わらぬ暮らしぶりを尊重して、ドラスティックな変化を求めなかったことが大きいようです。
結果、エリア独自での活性化はほぼないものの、時代と共に変わりゆく秋葉原の恩恵を受けながら"裏秋葉原"としての存在感を示してきた街、それが佐久間町です。交通利便性といった点においても、最寄り駅の東京メトロ日比谷線秋葉原駅の他、岩本町、浅草橋、馬喰町、小伝馬町、東日本橋、新御徒町などの駅があり、アクセシビリティも良好です。
昭和通りを北へ(御徒町・上野方面)、佐久間町に隣り合う和泉町は、全域が商業地域に指定され、かつては、繊維、金物、薬品などの小さな流通会社が数多く集積する個性的な商業地でした。それが近年、『千代田区都市計画マスタープラン』により、東口の再開発エリアと接続。これにより、ハイグレードの新築オフィスビルが散見できるビジネスエリアヘと変化しつつあります。とはいえ、和泉町の都市化は昭和通り沿いに限られており、エリアの中心部には老朽化したビルがひしめき合っているのが現状です。将来的に再開発がおこなわれれば、更なる活性化が期待できる発展注目エリアです。
ランドマークが超高層オフィスビルに世代交代【再開発③ 神田一丁目エリア】
現在、秋葉原電気街では、『外神田一丁目南部地区のまちづくり(外神田一丁目再開発事業)』が計画されています。対象は2つの街区(A街区・B街区)に分けられ、A街区は、長らく秋葉原電気街のランドマークとされてきたオノデンや、ラオックス秋葉原本店、エディオンなどが所在するエリアです。
この再開発計画は、地権者(国、東京都、千代田区、民間など)が再開発の事業体となる組合を作り、万世橋交差点から国道17号線を挟んだ東京都外神田一丁目エリアに、延床面積約10万2,000㎡・高さ約170mの超高層オフィスビルを建設するというもの。これに伴い、秋葉原のランドマークも世代交代がおこなわれ、ビジネス街としての色合いが一層強まるものと見られています。また、B街区の神田川沿いには、延床面積約1万3,000㎡・高さ約50mのホテル・住宅棟の建設が予定されています。
引用:千代田区公式HP
「外神田一丁目南部地区のまちづくりについて」
そうした変化がある一方、神田川を越えて丸の内線淡路町駅までの一帯には、"ザ・東京の下町"といったエリアが広がります。千代田区の歴史を紐解くと、かつてこのエリアは、寄席や旅館・料亭などが軒を連ね、上野・浅草・新橋にならぶ繁華街だったそうです。奇跡的に空襲を免れたため、戦前からの姿で今も営業する老舗が点在する一角でもあり、それらは、街の景観に寄与する建築として区の重要物件に認定されているそうです。実際に歩いてみると、"昭和"にタイムスリップしたような感覚を覚えるエリアでした。
交通利便性に優れた再開発エリアの中心地【岩本町エリア】
岩本町エリアは、秋葉原駅はもちろん神田駅へも徒歩圏のエリアで、東西に走る靖国通りと南北に走る昭和通り・水天宮通りを中心にビジネス街が形成されています。これらの幹線道路沿いには、山崎製パン、貝印などの本社ビルをはじめ、多くの大手企業の本社ビルが散見できます。ところが、通りを一本入るとロケーションは一変。紺屋町(繊維業)、鍛冶町(鍛冶屋)、北乗物町(駕籠屋)など、江戸時代からこのエリアで商売を営んできた職人たちの面影が地名となって残されていました。
『街道をゆく』という本で、司馬遼太郎は岩本町について「貸しビルのまち」と表現していますが、岩本町に貸しビルが増え始めたのは、平成に入って地場産業の中心だった繊維業が衰退し始めてからのことです。それ以後は街も活気を取り戻し、今では秋葉原、大手町、日本橋の"再開発トライアングル"の中心地として注目されるエリアとなっています。
岩本町エリアの魅力は、何といっても徒歩圏内に駅が多く、交通アクセスが極めて便利な点です。都営地下鉄岩本町駅からJR 秋葉原駅・JR神田駅へは徒歩約10分。秋葉原駅からは、JR 山手線と京浜東北線、総武線が乗り入れている他、東京メトロ日比谷線・つくばエクスプレスも接続しています。この他にも、都営地下鉄浅草線浅草橋駅や、東京メトロ日比谷線小伝馬町駅、JR総武本線馬喰町駅など、徒歩でアクセスできる駅は多数。都内はもちろん、各方面への交通利便性が抜群に優れた立地と言えるでしょう。
取材後記 《電気街から脱皮しつつある秋葉原の行方》
「電気マニアの街」というイメージだった秋葉原の転換点は、1990年代のゲーム・アニメ文化が一般にも認知され、「サブカルチャーの聖地」としてメディアに取り上げられたことが契機だったと記憶しています。人気漫画やアニメが世界中に発信され、欧米を中心に大ブームに。以後、秋葉原の認知度は、"電気の街"よりも"サブカルの街"の方が馴染みやすいものとなりました。
その頃から"電気街"と呼べるエリアは次第に縮小されてゆきます。かつては、秋葉原のメインストリート(中央通り)の両サイド一帯を「秋葉原電気街」と呼んでいましたが、現在"電気街"と呼べるのは、実質的に中央通りの西側のみ。東側一帯は再開発され、かつての名残をとどめているのは、かろうじて中央通り沿いの路面店と、「ラジオ会館」周辺くらいのものです。
本来的に秋葉原電気街の魅力は、「狭小でも賃料の安い古ビルが多く、その中に、小規模の専門店が集積しており「ネジ1個からでも欲しいものが手に入る」ところでした。つまり、一極集中であるが故の「収穫逓増型リピートモデル」が秋葉原電気街を成立させていたわけです。そうした専門店が減ってゆくと共に、日本一の電気街はマニアックな側面が薄れてきました。
そうした変化に寂しさを感じる部分もありますが、久しぶりに秋葉原を歩いてみて、再開発による変容には、それ以上の驚きとビジネスエリアとしての魅力がありました。これからの秋葉原は、「マニアの電気街」や「サブカルの聖地」ではなく、「東京の新しいオフィス街」へと生まれ変わることは間違いないでしょう。
■記事公開日:2021/09/21 ■記事取材日: 2020/08/27・31・9/3 *記事内容は取材当日の情報です
▼構成=編集部 ▼文=編集部ライター・吉村高廣 ▼撮影=吉村高廣/PIXTA
▼イラスト地図=KAME HOUSE ▼取材協力=秋葉原電気街振興会