北陸新幹線開業がビジネスチャンス。
コンパクトシティ富山の、未来計画。
豊かな暮らしを約束する都市
三方を山々にかこまれ、 湾を抱くように広がる富山平野をかかえる富山は、海の幸、山の幸に恵まれた暮らしやすい環境を提供しています。富山県のWEBサイトによれば、持ち家率は全国1位(平成22年)、一住宅あたり延面積1位(平成20年)、富山市の勤労者世帯(二人以上の世帯)の実収入は全国3位(平成24年)、女性就業者の割合は全国7位(平成22年)と、すこぶる豊かで快適な暮らしが約束されていることが統計数値から伺うことができます。
また広大な平野と豊かな水という自然の恵みから米どころでもあり農業が盛んです。くわえて鉱工業や薬品関連の企業や各種研究機関も多く集積。アルミサッシ・ドアの出荷額全国シェアは全国1位(平成23年)、人口1万人あたりの医薬品製造従業者数全国1位(平成23年)など、工業都市としてもトップクラスです。
コンパクトシティ富山
豊かな暮らしを約束する都市に成長した富山ですが、広大な平野部をかかえているだけに市街地が拡散しやすく、中心地においてはドーナツ現象が著しく進み、都市機能の低下が問題となっていました。また高度経済成長の頃から進んだ急激なモータリゼーションも、人口減少や少子高齢社会を迎えた頃から、移動を車に頼れなくなった交通弱者や交通難民の増加が表出。こうした都市機能の低下に伴い、ドーナツ現象、自動車への過度な依存から脱した交通網の見直しが市政としての検討課題にあがっていました。
まず富山ではこれまでの交通体系を見直すことから始まりました。「都市機能の低下は、社会環境の変化とそれによるニーズに対応していない交通体系にあると考えました」と富山市都市整備部路面電車推進課は話します。そこで都市の弱点を克服するべき新しい公共交通を核とした「コンパクトシティ」への取り組みを発表。ひとつの都市問題のソリューションとして、鉄道、軌道、路線バスのネットワークを軸としたコンパクトな街づくりに、官民一体で動き始めたのが2002年でした。
一県一市街化構想
もともと富山は、一県一市街化構想というのが1940年代に確立されていたと言います。富山地方鉄道企画部交通政策課によれば「どこにいても1時間以内で目的地に着けるという構想が、富山地方鉄道創業者でもある実業家、佐伯宗義が思い描いていました」「富山を豊かな都市にするには生活の場と生産の場(鉱工業、農業)を結びつけるべきだという強い念があったと聞いています」
その思想は、旧国鉄を除く県営・市営・私営の鉄道・軌道・バスなどを統一経営し、最終的には交通網を一元管理することで、一県一市街化構想は実現化されます。
「富山でコンパクトシティが思うように進んでいるのは、一県一市街化構想がベースにあったからだと思っています」と話すのは富山地方鉄道企画部交通政策課。他の都市では各交通機関はそれぞれ別の運営会社があたっているため、交通網を一本化させてコンパクトシティへ発展させていくには、交渉などが思うようにスムーズに進まないからではないでしょうか。すなわち交通統括の経験をしていた富山だからこそ、コンパクトシティが成功したのではないでしょうか。
点から線へ環状に
富山コンパクトシティ構想は、まずは郊外の拠点を線で繋ぐ都市交通網の整備が進みました。同時に、ドーナツ化現象となっていた中心地の活性化を実現させていきます。その交通の要となるのが中心地を循環するLRT(ライトレールトランジット)と呼ばれる軌道システム。上下分離方式(インフラは公共が整備、運営運行は民間)を取り入れ、官民一体で実現させた環状線、セントラム(CENTRAM/一般公募により募集され選考された車両の愛称)が、市街地の活性化を加速させました。
環状線セントラムは高齢者に優しい交通手段です。富山地方鉄道企画部交通政策課では「車両とホームに段差はありません。ホームと歩道の段差も低くしてあり、バリアフリーです。低床型の車両だからできました。さらに振動を軽減したインファンド軌道という技術を採用したため車内は静かです」と話します。
街づくりのためのトータルデザイン
さらに中心地を活性化させるために、このセントラムが走る沿線の環境づくりにも重点を置いています。市内街路にはガラス彫刻が並びます。ヨーロッパの都市のように、いたるところにフラワーバスケットがあり彩りを添えます。軽快に走り抜けるセントラムの車両は質の高いデザインで目を引きます。コンパクトシティの一環としてバイクシェアリング(LRTとのスムーズな連携を図る自転車を貸し出すシステム)サービスの拠点が環状線を中心に18カ所設置されています。
「セントラムのほか、市街地と港を結ぶポートラムの停留場の一部には、パークアンドライド駐車場を配しました。バスとの連携ではフィーダーバス(幹線と支線を結ぶバス)を用意しています」「市内のイベントと連携したラッピング車両も走ります」「停留場や駅のベンチは市民や企業からの寄付です。寄贈をされると、そのベンチにメダルが装着されます」富山市都市整備部路面電車推進課では、LRTを中心に、官民が一体となった街づくりが行われていると話します。
富山市都市整備部路面電車推進課によると「車中心の都市からの脱却が進んだことで、車を運転できなくなった高齢者が自宅にこもることなく、むしろアクティブに中心地に出かけるようになりました」「住まいと職場を結ぶだけでなく、買い物など含めて、中心地の人の流れが変わってきました。市内での回遊率が高まったという乗降の統計がとれています」
ビジネスチャンス
このように、2014年以前から都市としての再生を遂げてきた富山が、北陸新幹線開通と同時に、よりいっそうビジネス都市としての機能を拡充させていくことは間違いないでしょう。実際、東京と富山が約2時間10分という距離感もさることながら、地震が少ないという統計的な理由も相まって、災害時の企業のリスク分散のため本社の一部機能を富山に移転させるという動きが出てきているようです。
また全国でも安い電力料金ということから企業誘致にも力を入れている富山は、人の流れも経済の流れも劇的にシフトしていくことが予想されています。 これをビジネスチャンスととらえ、営業所の新規開設、出張所開設、商業テナントのオープンなど、ビジネスの動きも活発になってきているようです。
取材手記
「にわか」話題かと思われた富山ですが、一県一市街化構想、そして公共交通を核としたコンパクトシティ宣言という一連の都市計画の延長線上に、注目の北陸新幹線開通があるのではないでしょうか。この新幹線開通がターニングポイントとなり、ビジネスの機会創出が続くものと確信しました。質の高いビジネス都市から北陸地方のビジネスハブに、さらに環日本海地域の拠点へと富山は大きく躍進しているようです。編集部ライター・渡部恒雄
■記事公開日:2015/04/17
▼編集部=構成 ▼編集部ライター・渡部恒雄=文・撮影 ▼KAME HOUSE=イラスト地図 ▼富山駅ポートラムのパース・富山市空撮等提供=富山市都市整備部路面電車推進課 ▼富山城とセントラム等資料提供=富山地方鉄道企画部交通政策課