何を食べても、どこに行ってもあまり驚きの声を発しない人がいます。仕事柄、10代の若者とも接する機会を得ますが特にそう感じます。幼い頃から生活環境の中に現在の暮らしを満たすモノがある中で育ったからでしょうか、新しい出会いに感動しない人が多いようです。商品やサービスに対するリサーチをおこなっても、「別に~」といったコメントが返ってきます。不感症的な価値観が蔓延しているように思えてなりません。
そうした反面、SNSのインフルエンサーの発信には敏感に反応して、さほど興味がなかったものにもすぐに飛びつく行動も見られます。インフルエンサーは趣味や特技を生かした個性的な発信が持ち味で、独自の経済圏を形成しており、そのPR力に注目する企業が増えつつあるのです。こうした状況にマーケターは危機感を持たなくてはなりません。そこで今回は、これからのマーケティングについて私見を述べます。
経験経済はマーケティングの曲がり角
これまでのマーケティングはリサーチ偏重の左脳型マーケティングだったように思います。たとえば、新商品の開発やPRにあたっては、調査やデータ分析を徹底的におこなって最適解を導き出すのがこれまでの手法でした。しかし、どれだけ多くのデータを集めて分析しても、それだけでは市場にインパクトを与えることが難しくなっています。なぜなら今は『経験経済(Experience Economy)』の時代だからです。経験経済とは、経験や体験を経済価値として提供しビジネスをおこなうこと。いわゆるよく言う「モノからコト」への価値転換です。
おじさんのオアシスだったサウナが大ブームに
その好例がここ数年のサウナブームです。そもそも日本人にとってのサウナは"おじさん"を中心として少ないニーズを集めているものでした。しかも純粋にサウナを楽しもうというのではなく、ビールを美味しく飲むためだったり、二日酔いのアルコールを抜く(実際には逆効果)手段だったり、あまりお勧めできない使われ方もされていました。いわば、この商売をテコ入れして「儲けよう」とはなかなか考えられない相当ニッチな領域だったわけです。
ところが今は空前のサウナブームが起きていて、客層も目的も環境も以前とはまるで違います。
キンキンに冷えたビールを火照ったカラダに流し込みたいおじさんばかりでなく、男女を問わず、多くの若者が「ととのう」という"コト"を求めてサウナに訪れます。さらにブームの延長線上に登場した高級個室サウナなどは、質の高いリフレッシュを求める多忙なビジネスパーソンに大変な人気だそうです。
これは個人的な見解ですが、サウナブームの火付け役(マーケター)は、きっと自分自身がサウナが大好きだったのだろうと思います。日ごろから足繁く通い詰めて、その経験から自分が欲しいサービスや、こうあって欲しい環境を整えて、それが共感を集めてマーケットを拡大してきたのだろうと思います。つまりこれからは、調査やデータの分析だけではなく、「経験の深掘り」がムーブメントを起こす鍵になっていくと思います。
求められるのは一芸に秀でたマーケター
しかし、経験の仕方は個人によって異なります。また仮に、同じ商品やサービスの提供を受けても、それに対する感じ方は違うはずです。団塊世代に属する私と10代、20代の若者とでは当然ながら違った感じ方をするでしょうし、同世代を生きる者同士でも、個人の感性や興味の有無によって経験の深さは違ってくるはずです。
事実、私はサウナに興味がありません。"ととのう境地"に導くべく、『サウナ道』とか『サウナー』などの新語が生まれ、マーケットとしても今後さらに深掘りすれば新しいビジネスチャンスが発掘できそうな予感はしますが、残念ながら公私ともにまったく食指が動きません。その理由は、私にはサウナの経験が少ない(数十年前に1、2度)からです。したがって、私にはサウナの良し悪しを経験則で判断することができません。
私たちが物事を判断する尺度は、それまで積み重ねてきた経験がベースになっているものです。だからこそその言葉に説得力があるし、人の心を揺さぶることもできる。経験経済の時代に求められるマーケターはオールラウンダーではなく、ある分野に秀でたエキスパートと言うことができるかも知れません。
判断の尺度は、積み重ねてきた経験がベースになっているものです。
Yuji Seino
清野裕司
1947年生まれ。1970年慶應義塾大学商学部卒業マーケティングを専攻 。商社、メーカーにてマーケティングを担当し、1981年(株)マップスを創設。現在、同社の代表取締役。マーケティング戦略の立案、商品・店舗の開発支援、営業体制の整備、ブランド開発、スタッフ養成の研修まで、業種業界を超えたマーケティング・プランナーとして、2500種類のプロジェクト実績。
株式会社マップス ホームページ:http://www.mapscom.co.jp
■記事公開日:2023/09/25
▼構成=編集部 ▼文=清野裕司 ▼画像素材=PIXTA