第3回 なぜいまだに『論語』が読み継がれているのか?
ビジネスパーソンとしても、ひとりの人間としても十分な経験を積んでこられた管理職クラスの皆さんは、すでに完成された"スタイル"を持たれているはずです。いわゆる"百戦錬磨"で、その経験を武器に幾多の荒波を乗り越えていらっしゃることでしょう。にもかかわらず、そんな管理職の方々に、『論語』は人気があるといいます。
そこで今回は、私自身も当事者意識をもって『論語』の魅力を考察します。
孔子は現代人をカタチづくるデザイナー
つい先ごろ、表紙が現代風に刷新された、新渡戸稲造の名著『武士道』が書店で平積みされているのを見かけました。また、孔子や孟子といった"知の巨人"たちの言葉が凝縮された書物は、時代を超えたロングセラーになっています。「本が売れない」といわれる時代にあって、なぜこうした現象がおきるのか。そこにはきっと、判断に迷ったり、生き方を見つめ直したいときのヒントがあるからでしょう。
たとえば論語で「子曰く、学びて思わざれば、則ちくらし。思いて学ばざれば、則ちあやうし。」と孔子は説いています。つまり「多くの情報を得ても考えなければ、活かし方が分からない。逆に、考えてばかりいても情報がなければ、思い込みだけの判断になってしまう」と意訳できます。
まさしくこれは、情報過多のネット社会に生きる私たちへの助言ともいえるでしょう。そう考えてみると、いまに生きる言葉を残した先人も"現代人をカタチづくるデザイナー"といえるのではないでしょうか。
失敗の積み重ねがキャリアをデザインする
ある程度自分をカタチづくる土台ができてくると、物事を判断するスピードが上がり、ビジネスが加速します。経験(成功事例や失敗事例)を積み重ねることで、その時々に応じて"勘"が働くようになるからです。
一方、自分の土台が未完成の若手は、経験不足ゆえに勘が働かず、判断が遅くなったり、偏ったりします。これが"キャリアの差"であり、若手の成長を見極めるときの基準にもなります。
もちろん、勘が働いたからといって結果が見えるわけではありません。しかも、過去のプロセスから結果を推測する能力は、動物に本来的に備わっている"学習効果"と似たようなものです。
ただし、犬やサルは一度学習すれば二度と間違わないのに対して、人間はしょっちゅう勘違いします。
しかしながら、そこが"人間らしさ"でもあると私は考えます。単に似たような失敗をするだけではなく、その経験を通して新しい気づきを得るのが人間の強みであり、その積み重ねが"キャリアデザイン"にも通じるからです。
情報化時代に管理職が紐解く教科書
事を前にして判断に迷うのは、若手に限ったことではありません。時には経験豊かな皆さんでも同じような場面に直面し、いかに判断するかを悩むこともあるのではないでしょうか。
しかし、冷静になって振り返れば、その理由は共通しているはずです。それは冒頭でも述べた"情報過多"に他なりません。つまり、いまの時代は情報量が個人の経験値をはるかに上回り、勘を働きにくくしているのです。
こうしたときに力を貸してくれるのが先人の言葉です。論語には、「優れた人物とは、どのようにあるべきなのでしょうか?」と弟子が問うと「己をおさめて以て敬すと。曰く...」と孔子が続ける有名な問答があります。
この問答を私なりに拡大解釈すると、「指導的立場にある者は、常に修練を怠らず、時代にマッチした視点を持つことが大事。その継続こそがリーダーたる人格を形成し、周囲にも好影響を与える」となります。つまり、自己形成の営みは幾つになっても終わりなしと、さらなる励みを鼓舞されるのです。
"経験を積んでも迷う時代は、先人の言葉が道標になる"
Yuji Seino
清野裕司
1947年生まれ。1970年慶應義塾大学商学部卒業マーケティングを専攻 。商社、メーカーにてマーケティングを担当し、1981年(株)マップスを創設。現在、同社の代表取締役。マーケティング戦略の立案、商品・店舗の開発支援、営業体制の整備、ブランド開発、スタッフ養成の研修まで、業種業界を超えたマーケティング・プランナーとして、2500種類のプロジェクト実績。
株式会社マップス ホームページ:http://www.mapscom.co.jp
■記事公開日:2017/07/12
▼構成=編集部 ▼文=清野裕司 ▼写真・イラスト=フリー素材