1985年に流行った荻野目洋子さんの「ダンシング・ヒーロー」。
バブルの真っただ中、高校生だった荻野目さんはキレの良いダンスが人気でした。
今や"懐メロ"となった当時のヒット曲が、ひとりの振付師の手によって
新しい命を吹き込まれ、2017年に再ブレイクしました。
ご存知、大阪府立登美丘高校ダンス部の『バブリーダンス』です。
その生みの親こそ"グループ史上最高難度ダンス"と言われる『青春トレイン』をはじめ
さまざまなジャンルで光を放つ振付師akaneさんです。
天才的なひらめきと人を育てる哲学を持った振付師は、いったいどんなスタンスで
人や仕事と向き合っているのか。超多忙の中、お時間を割いていただきました。
高校3年生になって進路を考えた時、大好きなダンスを続けたいと思って日本女子体育大学に進学しました。舞踊学専攻だとダンスの授業もあって、教員免許をとることを条件に、親元を離れて進学することを許してもらったんです。大学進学時から振付師を仕事にしようと考えたわけではありません。もちろん振付師の存在は知ってはいましたが、自分がダンスの振り付けで食べていけるとは思っていませんでした。
きっかけは登美丘高校ダンス部のコーチになったことです。私自身、登美丘高校のダンス部OGで高校時代から自分でダンスをつくって同級生や後輩に教えていたんです。それは趣味の範囲でしたが、大学生になっても後輩たちにダンスをつくってほしいと言われて、次第に自覚が芽生えていったんです。当初は私が大阪に帰るタイミングでダンスをつくって、「後は練習頑張ってね」という大学生のバイト感覚でした。ところが徐々に、後輩たちがダンスの大会で良い結果をだすようになり私も「この子たちを優勝させたい」という目標を持つようになったんです。その延長線上で2017年の『バブリーダンス』が生まれました。
ダンス部のコーチというのは裏方です。どれだけ素晴らしい振り付けをしてもスポットライトを浴びるのはダンサーたち。最初のうちはそこにジレンマを感じていましたが、裏方を経験してみて自分の進むべき道を客観視できたところもあります。お客さんと近いところで自分の作品を見て、歓声や拍手を肌で感じた時に「振付師ってやりがいのある仕事かも知れない、私に向いているかも知れない」と思うようになったんです。ただ、本腰を入れて取り組もうと思うと、これがなかなか大変な仕事です。登美丘高校のダンス部は、ダンス未経験で入部する生徒がほとんどです。ですから踊りのクオリティもポテンシャルもバラバラ。そんな生徒たちをどうしたら上手く導くことができるか。これは一筋縄ではいかない問題でしたね。
私の役割は部活動をまとめることではなくてチームをまとめることです。よく、部員の日常生活にまで踏み込んで指導しているのではと思われがちですが、そうしたことは一切しません。部の目標にしても生徒たち自身でその年の目標を立てて実践します。アドバイスはしますが、基本的には「こんな大会に出よう」とか「こういう自主公演をやろう」というのは生徒たちの主体性に任せています。ただ、目標を高く持つようになってくると、その目標を叶えるためにはどういうダンスが必要かとか、どんな気持ちがないとだめだとか、いろんな問題が出てきます。それに答えるために私がいる感じですね。
生徒たちが主体的に取り組めるようになれたのは、先輩たちの実績の積み重ねがあったからです。それぞれの世代が目標を一歩ずつ叶えてきたので、自分も同じ目標をクリアしたいし、もっと上にいきたいと考えられるようになったのが大きいです。もちろん初めの頃は「全国優勝したい!」などという目標を口にする生徒は一人もいませんでした。それが徐々に、地区大会で優勝したい、全国大会に参加したい、全国大会に出て優勝したい、世界大会に出てみたいと、目標がどんどん大きくなっていったのです。
そんなふうにチームが成長するためには、キャプテンのリーダーシップと力量がモノを言います。じゃあ、何でそれを示すのかといえば、まずはダンスです。どんなに人柄が良くても、ダンスが下手では説得力がありませんよね。キャプテンは絶対的な実力がないといけません。次に方向性の把握と、それをメンバーに伝える能力です。私がつくりたい作品の方向性を理解して、それを生徒みんなでどうやっていくかを中心になって決めていく。私だけが「こういうイメージのものをつくりたい」と思って動くのではなくて、生徒たちの中にも、それを理解して、いち早く体現できる"実力者"がいないといけません。だからこそキャプテンには一番厳しく接します。「あなたが努力しなかったら、誰も努力せえへんよ」とね。プロジェクトの頂点に立つリーダーは、誰よりも努力して常にトップの実力を保たなければならない大変な役回りなんです。でも、そこがきちんと機能しなければ大所帯のプロジェクトなんて動かすことはできません。
ダンスでもスポーツでも、趣味の範囲でできることですが、大会に出て結果を残そうとなると、好きなだけではクリアできないことが増えてきます。したがって、当然こちらの要求も厳しくなります。大会は人数制限があるので、出場できない生徒も半分ぐらいいます。すると、「なんで私が落ちてしまったんでしょうか?」と聞いてくる子もいるんです。私はそこで「それは、自分で考えて!」と言って突き放しますけどね(笑)。ただ、そうした質問が出てくること自体、意思疎通ができていない証拠だとも思っています。
高校生って色々と難しい年齢ですからね。どれだけ向き合っても話が噛み合わないことはしょっちゅうあります。しかも話が年々伝わりにくくなっているとも感じています。「なんでこんなことも伝わらないの?」ということもめっちゃ多いですし、話が通じなくてイライラすることも少なくありません。今の子たちを見ていると、頭ごなしに「やりなさい」と言われると拒絶反応を起こす子が多いようです。それでも、自分から何かを発信したい、クリエイトしたい、という気持ちは持っているんです。それはすごく大事なことなので、意図的にやらせるようにしています。
例えば、1年生の練習作品をつくらせてみたり、自主公演の作品をつくらせてみたり。そこで初めて「akaneさんはこんなに難しいことをしてんや」と気づくんです。つまり、コーチの仕事を経験させることが相互理解の一番の近道なんです。口でどんなに説明しても伝わらないことってあるんですよ。ところが実践させてみると身に染みて「ほんまやわ」と気づいてもらえる。分からない若い子たちを分からせるには、責任を与えて経験をさせるしかないんです。
これは成功体験でも同じ効果がありますね。例えば、大会を目指して頑張ろうと話していても、優勝経験がない生徒にはその時の気持ちが分からないので温度差が生まれます。だからこそ、優勝をさせてあげることが大切なんです。一度経験すれば「次もまた」と前向きな欲が出ます。その逆もまた然りで、負けたらこんなに悔しいんやって経験できる。全ては経験させてあげたら分かってくれるんかなって思っています。
登美丘高校のダンス部については、今年から"総監督"という立場でかかわらせていただくことになりまして、生徒たちは新しいコーチのもとで練習に励んでいます。私は主宰する「アカネキカク」という個人事務所の中で、テレビCMやミュージックビデオなど、いろいろなお仕事をさせていただいています。アカネキカクには、信頼できる仲間がいるので、私は安心して仕事の幅を広げることができていますね。今のアシスタントたちも、元々は私の作品に出ている子たちだったんです。ですから、当事者として私の世界観ややり方を隅から隅まで理解してくれているので、とても頼もしいパートナーになっています。
今でも大人数の振り付けをする仕事が多いのですが、例えば、私は座っていて、口で言うだけで、全部できちゃう事もあります。大袈裟でなく、アカネキカクには実際にそのくらいの引き出しとフットワークの軽さがあると自負しています。それが可能なのは、スタッフみんなの意思疎通が図れているからに他なりません。ダンサーも登美丘高校のダンス部の頃から一緒にやっている子が多いので、私の言葉を素早く理解して的を得た仕事をしてくれます。そうした仲間たちがいなかったら、私はやりたいことの半分もできていないと思います。
ただ、どれほど素晴らしいスタッフでも、向上心を忘れたり、目標を見失って違うことを考え始めたら全てが終わってしまいます。そこを持続させることが、私が一番考えなくてはならないところだと思っています。人間なのでやる気が起きないこともあるじゃないですか。遅刻したりとかもそうですし、相手に対するものの言い方や、態度もそうです。自分以外の人が介在すれば、必ず何かしら「あれ?」と思うことはあるものです。そこを上手くやるには日ごろの人間関係が大切なので、思いたったことはすぐに話すようにしています。事務所で毎日会っていても、関係ない時に電話して話し込んだりすることもよくあります。何しろ、違和感があれば時間を置かずにすぐ話すこと。これがチームの調和を保つ私なりのやり方です。
私自身の中にある「こんなことやりたいねん」、「こんな夢があるねん」という思いを1つ1つ実現していくこと。それがアカネキカクにかかわる全ての人の成長の鍵だと思っています。そのためには、私の振付師としての力量が試されるわけです。ありがたいことに今のところは全て実現できているんですけどね。これからはもっともっと貪欲に夢をカタチにしてゆかねばと思っています。
なにしろ、私といることで「こんなにおもしろい仕事ができた」というのを、みんなが経験して欲しいと思います。例えば、振り付けの現場で「あのアーティストさんと共演できた!」とか、そういう次元のhappinessがたくさんあることが人を前向きにしてくれるエンジンになるはずです。
残念ながら、今のところ「akaneさんみたいになりたい」という人はいませんが(笑)、私が思い描くものを一緒に叶えたいと言ってくれる人が周りに多いので、私は目標や夢を持ち続けることができるのです。
そうした中から「私も精神的に自立してakaneさんのライバルになります」っていう子が出てきても大歓迎です。私は向上心がある人が大好きなので。でも、その意気込みはアカネキカクで発揮してほしいですね(笑)。
アシスタントも何人かいるんですけれど、その子たちも私の下で仕事をするだけじゃなくて、それ以外の仕事もたくさん経験して、これまで以上に私の力になってもらえたら有難いなと思っています。
今私の一番の夢は2025年の大阪万博にかかわることです。1970年の大阪万博の映像を観て衝撃を受けまして「また大阪で万博があったらいいのに」とずっと思っていたんです。そうしたら急に誘致の話が持ち上がって、本当に来るかもしれないということになった。そこから私は大騒ぎです(笑)。「なんとしてもかかわりたい!」と事あるごとに言っていたら、万博誘致のスペシャルサポーターに選ばれまして、誰にお願いされたわけでもありませんが、クラウドファンディングで資金を募り『万博ダンス』の自主製作までしてしまいました。誘致委員会は解散したので、これからは万博委員会にどうやったらかかわれるかが大事になってくるんです。ですから「大阪のダンスと言えばakaneがつくるダンスでしょ」と言われるように、これからの5年間は面白くてインパクトのある作品をつくり続けないといけないと思っています。
私のつくるダンスはどこかでアホが入っていますね。それは自覚していて、自分でつくったダンスですが何度見ても笑えます。こういうのを大阪のひとつの文化として認めていただき、万博で披露できる機会があったら素晴らしいなと思うんです。前回の大阪万博でも、各国のお祭りっぽいダンスや踊りを披露していて、その映像が残っています。その時代からダンスや踊りはエンターテイメントのメインストリームとしてあったんやなと思うとすごく勇気をもらいます。
5年後には科学技術も進んで、きっとアトムの世界が広がっているんでしょうね。でも、エンターテイメントの本質は科学の発展とは関係なくアナログだと私は思うんです。照明や映像という部分で、少しはグレードアップするところもあるでしょうがダンス自体は生ものなので、そこはこれからも変わらないはずです。生で見るのと映像で見るのでは全然違うので、体験型のダンスに仕立てて、みんなで盛り上がって「踊るのってこんなに楽しかったんだ!」という記憶が生涯残るようなものにしたいです。
とにかく私は、大阪万博にかかわらないといけないんです。万博をここまで必死に愛している振付師はいないので(笑)。私のキャリアの中では、一生に一度のチャンスでしょうから何がなんでもかかわります。もちろん、やりたいと思っても私の力だけじゃできることじゃないですけれど、これは私の運命なんです。
アカネキカク主宰。大阪府立登美丘高校ダンス部コーチとして、 数々の大会で優勝に導く。荻野目洋子の代表曲「ダンシング・ヒーロー」で振付した『バブリーダンス』を2017年9月に配信し、8300万回の再生を越えた。年末には第59回日本レコード大賞特別賞受賞、第68回紅白歌合戦への出演も果たす。2018年ハリウッド映画「 グレイテスト・ショーマン」のPR大使としてPV振り付けを担う。同年、大阪万博誘致スペシャルサポーターに選ばれ「世界の国からこんにちは」に振り付けをした『万博ダンス』を発表。 2019年9月発売のラストアイドル『青春トレイン』の振り付けを総監督として指導を行う。
スタジオに姿を現したakaneさんは、テレビなどで拝見するよりずっと小柄な女性で、最初のうちは少しシャイな印象を受けました。そんなakaneさんの言葉で強く残っているのが「どんなに立派な目標を掲げても、思いや努力が足りなかったら実現できない。そりゃ、しゃあないですよね」というひと言です。akaneさんはお話しの中で「思い」と「努力」という言葉をよく使われます。天才的な構成力と視野観を持った振付師であることは誰もが認めるところですが、その実、たいへんな努力家でもあることが今回のインタビューで分かった気がします。『バブリーダンス』をひっさげて彗星のように登場したakaneさんですが、その強い思いと努力でもって、大阪万博2025で世界中の人々を笑顔にして欲しいものです。