リーダーズ・アイ リーダーズ・アイ

リーダーズ・アイ

時間と手間を惜しまない。これが、選手の心を掌握してきた村上流マネジメント。

女子卓球日本代表監督として指揮を振るい、
ロンドン、リオデジャネイロと2つのオリンピックで日本にメダルをもたらした村上恭和氏。
30年あまり女子選手の指導にあたり、早くからジュニアの育成に着目し、
日本卓球を世界レベルに押し上げてきたその手腕は、
代表監督退任後も、卓球界のみならず多方面から注目されています。
そんな村上氏にお話しをお聞きしました。

私が女子卓球の日本代表監督になったのは2008年10月。それ以前からコーチをやっていましたが、とくに2008年は女子卓球が強くなるきっかけの年でした。それは『ナショナルトレーニングセンター(以下ナショナルトレセン)』が完成したことが要因です。ナショナルトレセンは、トップアスリートたちの国際的な競争力を向上させることを目的としたトレーニング施設で、日本のトップレベルの選手が一堂に会して練習します。
そうした中に、小学生のナショナルチームを組み込んだこと。これが日本代表監督になって最初に取り組んだ仕事でした。そして、その当時の小学4年生、5年生だった子どもたちが、いま16歳、17歳の選手たち。つまり平野美宇や伊藤美誠、早田ひな、といった世代です。

小学生が、福原愛や石川佳純といったトップ選手に交じって練習するのですから、当然モチベーションも上がりますし、より高い技術や体力強化のプログラムに接することになります。彼女たちにしてみれば、大きな刺激になったはずです。
それ以前にも、小学生の強化選手はいましたが、全国9ブロックに分かれた各地域で、1泊2日程度の練習会を行うのがせいぜいでした。ところが、ナショナルトレセンができたことで、全国から優れた小学生を選りすぐり、1週間連泊で練習できる環境が整いました。「子どものうちからそこまでする必要があるのか?」と疑問視する声もありましたが、そうした取り組みをスタートさせたことが、いま、世界レベルで活躍できる若い世代の台頭につながっているのは間違いありません。

小学生から卓球のエリート教育を行うのは、中国、韓国、北朝鮮、そして日本くらいのもので、欧米にはそうした慣習がありません。子どものうちはいろいろなスポーツをやってみて、徐々に専門分野を決めればよいというのが欧米の発想です。
しかし、こと卓球に限って言うなら、早いうちから徹底したエリート教育を行わなければ世界で渡り合える選手、いわば、中国に勝って、オリンピックでメダルをとれる選手はつくれない。それが私の自論でもあったのです。

リオデジャネイロオリンピックの団体で、日本はシンガポールを破り銅メダルを獲得しました。2012年のロンドンに続き2大会連続のメダル獲得です。そのときコートに立っていたのは、福原、石川、伊藤の3人。なかでも、とりわけスポットライトを浴びたのが、当時15歳だった伊藤でした。補欠だった平野は、同世代の大活躍をコートの外から見守ることしかできなかったわけです。

ところが、今年1月の全日本選手権シングルスで、石川の二連覇を阻んだのが平野でした。以後、アジア選手権のシングルスで日本人として21年ぶりに優勝し、世界選手権でも48年ぶりに日本にメダルをもたらすなど、平野は目覚ましい活躍を見せています。
多くの方は「リオで表彰台に立てなかったことがよほど悔しくて、それをバネにして頑張ったのだろう」と考えるでしょうが、それは正しくありません。平野がここに至る成長は、実はリオ以前から始まっていたのです。

リオの代表選手は、ロンドンの直後から選考レースがスタートして、2015年の9月に決まりました。それまでの3年間はワールドランキングの順位争いです。代表選手は順位の高い選手から3人選ぶと決めていたので、平野と伊藤はもちろん、福原、石川も国際大会で上位に入り、ワールドランキングを上げるよう熾烈な競争を繰り広げていました。結果、平野はランキングで伊藤に及ばず代表入りを逃したのです。
したがって、「リオの後から悔しさをバネにして」というのではなく、ナショナルトレセンができた2008年からずっと進化し続けてきて、それが今年の結果につながっている、そう考える方が正しいでしょう。

私は近畿大学を卒業して和歌山相互銀行に入りました。もちろん卓球をやるためです。ところが29歳の時に、会社からある選択を迫られたのです。それは、卓球人生にひと区切りつけて、銀行員の道を歩んで欲しいというものでした。29歳といえば部員の中でも最年長でしたし、引退を考える頃合いでもあります。当時の私は、選手とコーチ、監督を兼任していて、今後はコーチや監督に専念にしたいと考えていました。ところが会社としては、そろそろ次の人生設計をするべきであろうというわけです。

そもそも当時の企業スポーツは、選手が若手の指導を兼任するのが一般的で、専業のコーチや監督を雇うような時代ではありませんでした。ただ私は、どうしても卓球から離れられなかった。そこで和歌山相互銀行を辞め、大阪に出て来て"ママさん卓球"の指導者になったのです。安定した銀行員の道を捨てて、ママさん卓球の指導者というアルバイト生活を送る決断に、周囲は随分反対しましたが、当時の大阪には卓球教室がけっこうあって、ママさん卓球の指導で生計を立てている人がいることを知っていたんです。とはいえ、最初の2、3か月はチラシを自分でつくって配ってまわり、なんとか生活できるようになるまでには、半年くらいはかかったでしょうか。

そうした日々を送る中、私のその後を左右するある転機が訪れます。指導をしていた生徒の中に、日本生命女子卓球部の部員がおりまして、その頃、日本生命の女子卓球部は前の監督がお辞めになって空席状態だったため、そこに私が収まることになったのです。それが1990年のこと。以来今年で28年、日本生命で指導を行ってきました。

30年あまり女子選手の指導にあたってきたわけですが、チーム監督という立場で考えると、まとめる集団が女性であるのと男性とでは、向き合い方が異なります。仮に、10人の男子チームを動かす場合は、全員を集めてミーティングをして、終われば「皆で焼き肉でも食いに行こうか」という雰囲気になって、比較的楽に信頼関係を築くことができます。
ところが女子の場合はそう簡単にはいきません。10人でミーティングを行えば、「私は違う」と腹の中で考えている選手が必ず複数人いるもの。しかもその思いが男子よりも頑なです。あるいは、チームで食事に行こうとしても、「和食がいい」、「焼き肉がいい」、「いや、私は中華がいい」と、主張が交差してなかなか決まらない(笑)。良くも悪くも女性の方が個性が強いのです。

食事のことはともかくとして、私も若い頃はそんな女性の気持ちが理解できずしょっちゅう衝突していました。その中で学んだことは「大事なことを女子選手に伝える場合は1対1でなくては上手くいかない」ということです。これは1対2でもだめです。言いたいことはあるのだけれど、遠慮があってその思いをなかなか口にしてくれません。
したがって、選手が言いたいことを言える環境をこちらの方が用意して、忌憚なく意見を交換し合い、そこで決めたことはきっちりやる。これが女子選手との向き合い方です。

もちろん面倒ですよ(笑)。男子選手ならば1回で済むミーティングを10回もやらなければならないわけですから。しかし、その時間と手間を惜しんでいては、なかなか女子選手の気持ちを掌握することはできないし、腹を割った話はできません。そうした中で、練習時間や練習内容などをとことん話し合い、選手と私の合意のもとにスタートさせる。ある種これは、長年女子選手を指導してきた、私の"リーダー論"とも言えるでしょう。

個人競技か団体競技か、それによっても監督の関わり方は異なります。たとえばシンクロナイズドスイミングという競技は団体競技の最たるもので、複数の選手が一糸乱れぬ動きを求められます。こうした競技の選手たちは、全員が同じことに意識を向け、同じ動きをすることが何より大事で、むしろ個性は邪魔になります。
したがってシンクロ監督の役割は、細部にわたる技術指導もさることながら、日ごろの生活習慣にまで目を配り、あらゆるものを厳しく管理して、監督がイメージする通りの選手を育てることにあります。

かたや個人競技の卓球は、シンクロナイズドスイミングの対極にある競技といえるでしょう。個人競技では選手の個性が武器になります。
そこで監督に求められるのは、選手の潜在能力を見極める力と、それをどうしたら伸ばせるかをアドバイスできる経験と言葉です。つまり、監督が選手をつくるのではなく、選手自身が主体性を持って練習に取り組むよう導くことが肝心です。これはきっと、多くの個人競技の指導者に共通しているのではないでしょうか。

では企業の場合はどうか。基本的には"個人戦"だと私は思っています。もちろん"企業体"という括りで見れば1つの集団ですが、結局のところは、一人ひとりの力量の積み重ねと、そのバランスで成り立っているのが企業ではないでしょうか。
たとえば、ある営業チームの中で成績が伸び悩んでいる営業マンがいたとしても、別の営業マンが優秀な成績を挙げればチーム目標の帳尻は合わせられます。これは卓球の団体戦と同じです。結果として相手より多く勝ち星が取れれば勝負には勝てます。
ただ、ここで大事なことは「いつも人任せにしているわけにはいかない」と、当事者たちが認識することです。立場が逆転しても互いにフォローし合えるよう、監督や企業のリーダーは、まず"個の強化"に努めるべきだと思います。

オリンピックで金メダルをとる。これはもう大げさな目標ではないと思います。代表監督時代に私が選手たちに常々言っていたのは、7:3くらいの実力差があると中国には勝てない。でも、6:4くらいの実力差なら有利に試合運びができるということです。勝負事、あるいはビジネスに置き換えてもいいかもしれませんが、相手より少しだけ力が劣っているなと感じるくらいの時が、最も良いパフォーマンスを発揮できるものです。ただ、この差が逆だとだめなのです。

というのも、ロンドンの時がそうでした。それまで一度も勝ったことのなかったシンガポールに3対0で日本が勝った。そこには「相手は強いけれど、何としてでも勝ってやる」という日本の執念があった。かたやシンガポールには「一度も負けたことのない日本だったら大丈夫だろう」というわずかな気持ちの隙があったのです。そうしたことが東京オリンピックでも中国相手に十分に起こり得るのではないかと私は思っています。

ただ、いまはまだ波があって、実質的には7:3くらいで日本の方が力不足です。これを何とかして6:4まで引き上げることができれば、日本女子卓球の金メダルも決して夢ではありません。

では、誰がキーマンになるのか。やはり石川と平野の2人だと思います。石川については、年齢的にも満足感という意味でも、実はリオがピークだったかも知れないと私は思っています。ただやはり、石川の経験は見過ごせません。2大会連続でメダルをとるイメージや、中国の強さを彼女は誰よりも知っている。石川が本当に開き直ればすごく強いと思います。今の石川は受け身で試合をやっています。それでも強いのですから、その一瞬でも開き直れたらすごい試合ができるのではないでしょうか。
これに加えて、いまのジュニアは素晴らしい能力を持った選手がたくさんいます。かつては「オリンピックに出たい」というのは夢を語ることでした。ところがいまの彼女たちにとって、オリンピックは手の届く現実です。東京までの間にとてつもない選手が出てくるかも知れません。楽しみにしたいと思います。

福原をはじめ、石川、平野、伊藤など、子どものうちから頭角を現し、世界で活躍する選手たちには共通点があります。それは「卓球で絶対に成功したい」という意志を固めていることです。またそれは、本人だけのものではなく、保護者や近所の人たち、学校の先生、地域の卓球関係者といった方々が、皆でスクラムを組んでその子を応援しています。だからこそ本人たちも意志がぶれません。また、そうした子どもたちのほとんどは親が卓球をやっていて、幼稚園の頃から卓球に親しむ環境にあります。
でもそれでは、環境に恵まれた子どもがいなくなったら、日本の卓球は途端に弱くなってしまう。そこで大事なことは、ナショナルトレセンとはまた違ったスタンスの"組織づくり"に他なりません。
つまり、親が卓球をやっていなくても、早くから卓球に親しめる環境を、より多くの子どもたちに、より早く提供して卓球の裾野を広げていくことが、日本選手が世界の檜舞台で活躍し続けるポイントだと思います。

私は、リオの後に代表監督を退き、いまは日本生命の女子卓球部の総監督であるのと同時に、ジュニアの育成事業にも力を注いでいます。
ここ貝塚市では"卓球の街宣言"を行い、行政が予算をつけて、すべての幼稚園と小学校に卓球台を置き、必要に応じて指導員を派遣しています。さらにそこから先の受け皿として、日本生命の体育館に隣接した寮に優秀な子どもたちを住まわせて、エリート教育を施していく取り組みも今年の4月から始めました。
果たしてここから、オリンピック選手が出てくるかは分かりませんが、卓球の街として、市民が一体となって卓球を応援するモデル・タウンになれば、日本全国で我々の取り組みをベンチマーキングする街も出てくるでしょうし、卓球文化の底上げになると確信しています。

Leader's Profile
村上 恭和 Yasukazu Murakami

1957年生まれ。広島県御調郡向東町(現・尾道市)出身。近畿大学卒業後、和歌山相互銀行(現・紀陽銀行)に入社し、卓球選手として1983年世界卓球選手権混合ダブルスなどに出場。1990年から現在まで日本生命卓球部監督を務め、就任当初にリーグの8チーム中7位だったチームを6年で日本一へと導く。2008年からは卓球女子日本代表監督も務め、2012年のロンドンオリンピック、2016年リオデジャネイロオリンピック卓球競技女子団体で、日本にメダルをもたらした。

編集後記

ロンドンオリンピック、リオデジャネイロオリンピックと、日本中の国民をテレビに釘付けにした日本女子卓球。その主役である選手たちをジュニア時代から育成に努め、精神的な支柱となり続けて来られたのが村上恭和監督です。年齢も違えば個性も違う天才少女たちを掌握するには、どのような術を持たれていらしたのか。それは、厳しく檄を飛ばすのではなく、互いに納得がいくまで、1対1で、とことん話をすることだったとおっしゃいます。リーダーシップというと、とかく"強さ"がクローズアップされがちですが、個性重視の競技においては、その人格に合わせた接し方が大切。たいへん勉強になるお話しでした。

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■記事公開日:2017/07/13 ■記事取材日: 2017/6/20 *記事内容は取材当日の情報です
▼構成=編集部 ▼文=編集部ライター・吉村高廣 ▼撮影=只野ヒロキ

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