老舗旅館の慣習だった『他力本願経営』からの脱却
温泉旅館(ホテルも含む)は現在、日本全国で45000軒を下まわっており、その数も廃業にともない年間約1450軒ずつ減少しているという。江戸時代に会津藩の湯治場として栄え、会津若松の奥座敷として発展したこの東山温泉街も例外ではない。1990年代初頭までは33軒の温泉旅館が軒を並べ活況を誇ったが、その数も今では18軒までに減っている。また、残っている宿でも夫婦2人で切り盛りしているような小さな旅館以外は、ほぼ再生の手が入っており経営実態は大手企業というのが現実だ。
こうした中、訪れる客たちを「さすがは老舗の旅館だ。わざわざ足を運んだ甲斐がある」と感嘆させ、リピーターはもとより、新規顧客の獲得も右肩上がりで常に客足の絶えない旅館がある。それが今年創業140年を迎えた『会津東山温泉 向瀧(むかいたき)』だ。
六代目の平田裕一社長は、老舗旅館にありがちな他力本願の経営を捨て、向瀧が提供する価値を、積極的に顧客に伝えてゆく方法としてインターネットに着目。古い慣習にとらわれた周囲の同業者からは「あの若旦那は旅館のくせに訳のわからないことを考えている」と陰口を叩かれていたという。ところがその読みは見事に当たり経営は順風満帆。2003年には、会津若松経営品質の大賞を受賞し、今なお変革の日々が続いている。
独学で制作したホームページ、予約の9割が自社集客
歴史や伝統を重んじる温泉旅館というのは『変化』に対して大きな抵抗感を持っていると平田社長は言う。しかし、過去の成功体験に胡坐をかいていては、旅館に限らずどんなビジネスでも経営は成り立たない。それに加えて「歴史を守る」という使命があるのならなおのこと、最先端のものを導入することもいとわない柔軟性が必要。そんな平田氏がいち早く目をつけ、着手したのがインターネットだった。
1996年当時、まだインターネットは一般的には普及していなかった。しかし平田氏はそこで考えた。「もし将来、誰でも簡単にインターネットに接続できるようになれば、手軽に宿泊の予約が取れるようになってきっとすごいことになる」と。その一念を信じて、独学でホームページを制作し始めたのだという。当時としては、ホームページを持っている旅館自体が希少で、そこから予約が取れるという仕組みも極めて珍しいものだった。
ところがそこから時代は一気に加速する。2005年を境にインターネットの通信環境が常時接続へと変わり、平田氏が夢見た「誰でも簡単にインターネットに接続できる時代」が到来する。それに伴い『向瀧』の予約は、周囲の同業者の不振を横目にネットを介して爆発的に伸び続け、現在では約9割が自社集客(旅館業としては驚異的数字)だという。
「ただよく、インターネットを立ち上げれば売上げが伸びる、と単純に考える方がいますが、ネット利用者の心理や背景を考えて、その検証に則ったサイト制作を行わなければただ渦に巻き込まれるだけです」と平田氏は言う。つまり、ネットで結果を出すためには業者まかせにしていてはだめで、マーケティングからコンテンツの開発まで、万事において経営者の目が行き届いていることが大事なのだと指摘する。ちなみに向瀧のホームページは、企画、運営、コンテンツ制作、写真撮影、すべてを平田氏一人で行っている。
社員が思いを一つにできる『理念』の重要性
これまでの温泉旅館は、いろいろな要望に対応することこそが発展につながると考えられてきた。たとえば個人客があり、家族連れがあり、ゴルフの打ち上げがあり、町内会の集まりや老人クラブの集いがあり、日帰り入浴客がありと、ありとあらゆる領域までターゲットを広げて、建物ばかりをどんどん大きくしてきたわけだが、それが今の日本の価値感とずれてきたのだと平田氏は言う。
「経営品質の勉強会に行って、あなたのお客さまは誰ですか?と初めて聞かれたとき、その問いに明確に答えられな自分がいたんです。『あなたのお客は誰か?』そんなことは微塵も考えたことがなかったので衝撃的でした。そこで行きついたのが『捨てる』とか『やめる』ということです。つまり『向瀧の顧客とは』を真剣に考えて、その考えに合致したお客さまにサービスの焦点をあわせて、組織の運営を組み立てようと決心したのです」。
平田氏自身、大英断であったという。もちろん社員の中には反対の声を挙げる者もいた。しかし平田氏の中には「ここで変えなくては、向瀧の成長はない」という強い危機感もあった。そこで2002年、平田氏は社員が思いを一つにできる理念『いつでもホッとな温泉宿』を打ち立てる。それが2009年には『お客様の思い出を磨き続ける』という時間、空間、人間の哲学に進化している。このメッセージの中には「会津の良さを求めていらしたお客さまに、最高のおもてなしでとことん尽くす」という会津のプライドも込められている。
時間や手間を惜しんでいては、いい関係は築けない
どの業界でも同じだが、人材が最も大事であることに変わりはない。最近は若い人がすぐに会社を辞めるといわれるが、その本質的な原因はやはり人間関係だ。向瀧では3月と9月に、全社員がおかみと1対1で話し合いを持つ時間を持ち、平均して1時間程度、中には3時間に及ぶ場合もあり、この時期おかみは大わらわだという。
「でも、ここが一番の肝になります。普段はいくら笑顔で働いていても、何かしら思うところはあるものです。そうした思いを定期的に吐き出させてあげることが良好な関係を維持する秘訣です。そのためにはやはり、時間や手間を惜しんで片手間には済ませられません」と平田氏は話す。もちろんこうした話し合いの中で改善すべき点が顕在化すれば、それを即座に反映させていくことも旅館のような『家業系経営』においてはとても大事なことなのだとも言う。このあたりの発想は、あらゆる業種の家業系経営者が少なからず考えさせられるポイントではないだろうか。
また、向瀧独自の勉強会として、社員が自分たちの旅館にお客さま気分になって泊まるという『お泊まり会』がある。もてなしの内容は通常のお客さまと一切変わらない。自分たちがいつも作っている料理を浴衣を着て食べ、もてなしを受ける。このことで社員たちはお客目線での発見があり、それがまた小さな改革につながっていくのだという。
変革とは、破壊と創造の産物である
経営品質プログラムへの取り組みは時に痛みを伴うものでもある。そのことを平田社長は実感している。普段の仕事だけでも忙しいのに、さらに新しい経営改革の仕組みを導入しようとすれば社員たちはいい顔はしない。そこで平田氏は、難しい言葉は使わずに「どうしたらお客さまに喜んでもらえる旅館になれるか」というポイントに絞って、分かりやすい言葉でその仕組みを伝えていった。
しかし経営改革は言葉だけではなく具体的な行動も伴わなければならない。その過程で「こんな馬鹿な息子についていけるか!」と、調理場のベテランが2人やめた。その他にも帳場、客室係りと、自分の考え方ややり方を変えることができない人たちがやめていった。
「その時に初めて、変革というのは破壊と創造なのだなと思いました」と平田氏は振り返る。調理場のベテランが2人やめた時は、平田氏自ら包丁も握った。そうしたことを残った社員と一緒に乗り越えながら変革を続けたことが、やがて会津若松経営品質の大賞受賞に結び付いていく。
会社というのは、ある目標を達成して営利を追及していくことが原則だと言われる。しかしながら、営利追求だけに捉われて、ノルマをめぐって常にいがみ合っていたり一喜一憂しているようでは、いい企業体には決してならない。むしろ、社員が「仕事が楽しい」と感じられるような環境を作ることができれば、利益は後から自ずと付いて来るもの。あえてノルマや売上目標は作らず、その環境作りに奔走し仕上げていくのが経営者の役目であり、いわゆる『経営手腕』と言えるのだろう。
日本経営品質賞とは
日本経営品質賞は、日本企業が国際的に競争力のある経営構造へ質的転換をはかるため、顧客の視点から経営を見直し、自己革新を通じて顧客の求める価値を創造し続ける組織の表彰を目的として、(財)日本生産性本部が1995年12月に創設した表彰制度です。(日本経営品質賞HP
http://www.jqaward.org/)
■記事公開日:2013/11/28
▼編集部=構成 ▼編集部ライター・吉村高廣=文 ▼写真・資料提供=会津東山温泉 向瀧