業界No.1へ。精工のあゆみ
創業100年以上の老舗企業は、日本全国でわずか3万3,069社(東京商工リサーチ2017年)。株式会社精工もその中の1社だ。創業は1911年2月。初代社長林健三郎氏が、大阪市西成区阿波座において株券や銀行通帳などを取り扱う活版印刷業としてその歴史をスタートさせた。第二次世界大戦で一時営業がストップするも、1948年には営業を再開し、1950年8月に精工株式会社を設立。2代目社長林信男氏が現在の事業ボトムとなる農産物の包装資材の取り扱いを開始する。特に農産物の木箱に貼る商品ラベルは人気を博し、大阪のみならず、長野県、青森県へも販路の拡大を実現させた。
時は高度経済成長の真っただ中。日本人の消費生活を激変させたのがスーパーマーケットの登場だ。この機を逃さず会社の拡大路線を指揮したのが3代目社長の林健男氏である。1990年からは、農産物に特化したパッケージメーカーとしての地位を確立。業界シェア25%を誇るNo.1企業へと導いた。後述するが、この時期世に送り出されたパッケージは農産物包装の概念を変えるエポックとなった。そして一昨年、経営のバトンは4代目となる林正規氏へと引き継がれ、次代を睨んだビジネスモデルの構築が進んでいる。
成長のキーワードは"安心・安全"
同族会社として108年もの歴史を持つ株式会社精工だが、そのあゆみを見ても分かる通り"印刷"という軸だけは変えずに、仕事の内容はその時代の風向きに合わせて変化してきたのが精工の特長だ。そうした中でも、とりわけ時代の風をキャッチするのが上手かったのが3代目社長の健男氏だった。
正規氏は次のように話す。「父は早くから"安心・安全"の大切さをことのほか強く説いていました。もともと野菜の袋は、印刷の中でも低付加価値で、メーカーがしのぎを削って仕事を取りあう業界ではありませんでした。ところが流通が安定してくると、量はもちろん、納期や価格、品質の安定、さらには安心・安全を意識したパッケージが求められるようになりました。それに対応するには自社工場が必要となり、1990年から外注印刷をやめ、包装資材の一括生産を請け負うメーカーへと転身を図り成長したのです」。
時代に合ったアイディアを実現させる
そしてこの頃開発されたのが、"機能を持った農産物のフィルム包装"だ。スーパーマーケットの販売はバラ売りではなくパック売りが基本。しかし、普通のビニール袋に詰めて陳列してしまうと、袋の中で水分が蒸散して品物が痛んでしまう。そこで、ビニール袋に小さな穴を開けて野菜が呼吸できるようにすることで食の安心・安全を保持させた。これは実用化と共に、全国のスーパーマーケットで採用された。
さらに、鮮度を保つという原則は変えずに、異なる付加価値を与えた「カットスイカのチャック袋」が人気製品となる。スイカの皮は腐敗しやすく後始末に時間を置きたくない。事実、購入のタイミングはゴミだし日の前日が多いというデータがマーケティングで判明した。これを解消するために、食べ残したらそのまま袋に入れて保存ができ、食べ終わったら袋に入れてチャックをすれば悪臭をまき散らすことなく数日保管ができる独自のパッケージを開発した。これによりカットスイカの売り上げが大きく伸びたという。
「ひと昔前は、スイカは一玉で買う時代でしたが今はカットスイカが主流です。それに順じて8分の1カットまでのスイカ袋を用意しています。単純計算すれば8倍の利益を得ることになります。核家族化で世帯あたりの人数が減り、少子化で人口が減っていく時代にあって、付加価値の高い包装技術によってパッケージの需要は増えていく。肝心なのは時代を読む目と、それをビジネスに落とし込むアイディアです」。
野菜の袋をつくる"広告代理店"として
安心・安全を軸に成長を遂げてきた精工だが、「抜本的な問題は、もはや鮮度保持だけではない」と、4代目社長の正規氏は言う。「スーパーの売り場に並んだ野菜が飛ぶように売れれば、鮮度保持の機能はいらなくなります。また本来、生産者にとってもそれが理想のカタチであることは間違いありません。つまり、今後私たちが取り組むべき問題の本質は"野菜をもっと食べてもらうためにはどうしたらいいか"という部分に答えを出すことです。私はその可能性をデジタル印刷の活用にあると考えています」。
正規氏が考える具体的なアイディアの一端は、レシピサイトと連携をして野菜のパッケージにサラダメニューを紹介したり、ドレッシングのメーカーとタイアップしてその野菜を美味しく食べられるドレッシングを紹介するなど。つまり、パッケージ自体を"広告媒体"として考え、生産者とメーカーのWin-Winの関係を構築し、消費者が野菜を手に取る機会を増やそうというもの。その武器となるのがデジタル印刷なのだ。そうした意味で、これからの精工が目指すのは「野菜の袋をつくる広告代理店」であると言う。
「私はデジタル印刷機を導入した年に入社しまして、その事業の立ち上げからずっと先頭をきってやってきました。そこには幾つかの理由があります。まず第1に、日本の印刷業界のトップ2社が野菜のパッケージには未着手だったから。野菜のパッケージは低付加価値過ぎて大手の印刷会社が動くと経費が合わない。農産物の収穫は年に1回。そこに営業担当を置くわけにはいきません。
第2にはデジタル印刷に個人的に興味があって深く研究してみたかったからです。ここは大事なポイントですが、新しいビジネスモデルに着手しようとする場合は、誰かに数字を持たせてやろうとしても上手くいきません。極端な言い方をすれば、半ば経営者の趣味道楽から着手して、そのことについて経営者が誰より夢中になって、深い知識とビジョンを持って舵を切って行くべきです。現会長の父、二代目の祖父、創業者の祖祖父が、その時々の先見性と興味に導かれて経営に取り組み、それぞれの代でエポックとなる事業を興し、成功させてきました。私にとってのデジタル印刷は、まさにそれです」。
事業の主軸は農産物。多角化は考えない
「デジタル印刷機を導入して、何ができるか分からない中で手広くいろんなことをやってきました。現在は農産物以外に500社ほどの国内ブランドとお付き合いがあります。これまではセールスサンプルを専門でつくってきたわけですが、かなり意外性に富んだ製品もつくっています。たとえば、横浜ベイスターズと楽天イーグルスのホームグラウンドで売っている"ガチャポンウォーター"は人気です。パッケージに選手の顔がプリントされたペットボトルが出てくるというもので1本200円の公式グッズになっています」。
とはいえ正規氏は、これを事業の多角化とは考えていない。あくまでも最終的には、これらの経験で培った知恵や方法論を農産物で活かしたいと考えていると言う。今の農産物の生産者は、徹底的に品質にこだわっている人もいれば、生産効率第一の人もいる。しかしながら、一旦青果場に入れてしまうと同じ売り場に並んでしまう。だからこそ、品質にこだわる人は直売所に持っていくわけだが、残念ながら直売所は販売力がない。最近でこそ大手スーパーでは、地元で獲れた野菜コーナーを設けて差別化を図ろうとしているがまだまだ十分とは言い切れない。つまり"良きものをつくろうとする人"にとって、今の仕組みは八方ふさがりなのだ。こうした状況を打開して、生産者が潤い、精工が新たな一歩を踏み出すことが、108年続いた会社を引き継いだトップの手腕に託されている。もちろん正規氏には、その自信がある。
■記事公開日:2018/07/23 ■記事取材日: 2018/07/04 *記事内容は取材当日の情報です
▼構成=編集部 ▼文=編集部ライター・吉村高廣 ▼撮影=田尻光久