はやぶさ2にキセノンガスを供給
C型小惑星「Ryugu」から試料石の持ち帰りを目的とした「はやぶさ2」。機体や搭載装置の製造・開発には、大手製造メーカーから家族で営む町工場まで100社以上が携わった、日本のものづくり技術と知見の粋が結集した一大プロジェクトだ。そうした人々の熱い思いを乗せて、2014年12月3日13時22分4秒、はやぶさ2を載せたH2Aロケット26号機が、鹿児島県の種子島宇宙センターからの打ち上げに成功。太平洋の上空で分離され、およそ50億キロという気が遠くなるほど遠い宇宙の彼方へと旅立った。
1936年の創業以来、様々な産業用ガスニーズに応えてきた株式会社ウエキコーポレーションは、そのプロジェクトの一員として極めて重要な役割を担った。はやぶさ2をRyuguに導き、地球へ帰還させる原動力イオンエンジン。その推進剤となる「キセノンガス」の供給だ。当然ながらキセノンガスの輸入販売はウエキコーポレーションの専売特許ではない。ではなぜ、東京・大田区の中堅企業が入札できたのか。そこには、日本の高度経済成長を産業用ガスで裏支えしたウエキコーポレーションの底ヂカラがあった。
産業用ガスに特化した専門商社として
ウエキコーポレーションは、ガスの販売、ガス・エンジニアリング、ガス設備機器の販売を3大事業軸として、化成品事業、部品材料事業にまで事業領域を広げる「ガス・トータルソリューション・カンパニー」だ。ひとえに"ガス"といっても、家庭用として使われる都市ガスやLPガスなどは現在扱っておらず、産業用ガスの供給に注力して事業を拡大させてきた。一般的なガス商社のように、ガスを仕入れて販売するだけではなく、技術部門を有する産業用ガスの専門商社として、半導体、液晶、電子機器、自動車、医療など、日本を代表する様々なリーディングカンパニーに、用途に応じた産業用ガスを製造・供給している。
中でも近年は、とくに"希ガス"へのニーズが高まっていると木本社長は話す。「希ガスとは、ヘリウム、ネオン、アルゴン、クリプトン、キセノン、ラドン、これら6元素の総称です。空気中や天然ガスなどにごく僅かに含まれるガスで、そのガスを集めて精製・濃縮したものを欧米諸国から輸入します。非常に希少性の高いガスで、用途の可能性は限りない広がりがあります。身近なところでは、MRIなどの医療機器や半導体製造に利用されているほか、宇宙開発事業の分野では、宇宙衛星等の軌道制御用イオンエンジンの原料として実用化されるなど、最先端エネルギーとしても大いに注目されています」。
半導体革命から生れた事業の多角化
ウエキコーポレーションが飛躍的な発展を遂げるきっかけとなったのは高度経済成長期初頭のこと。使用するガスを自前でつくっていた東芝から、その特約店として京浜工業地帯から品川、糀谷一帯でガスを供給した。「当時、東芝で最先端の技術を持っていたエンジニアに来ていただいて、重電メーカーの要望に対応できる技術を確立しました」と振り返る木本社長。当時の京浜工業地帯では工業地帯に工場や人口が集中するのに合わせて重電需要が大きく伸張。火力発電のタービン稼働に必要な水素ガスの供給などを足掛かりとして事業規模を全国に展開させた。そしてやがて"トランジスタ時代"が到来する。
1980年代に入ると、多くの総合電機メーカーは、日本製トランジスタの製造を開始する。いわゆる半導体である。半導体は"産業のコメ"とも言われ、80年代半ばには世界市場で5割以上という驚異的なシェアを誇り産業立国日本を確立した。ウエキコーポレーションもそれに伴い、半導体材料ガスの供給をスタートし多忙を極めたと言う。「需要は減ったものの、現在でも、事業所によっては24時間365日人が張り付いて供給しています。そして、この半導体がきっかけとなって、薬品・薬液などの化成品事業や、半導体製造に使用するファインセラミックスなどのハイテク需要に応える部品材料事業が派生的に生まれたんです」と話す木本社長。まさに、トランジスタ時代が生んだ多角化だ。
当時の電機メーカーはどこも元気が良く、多くは現在、日本を代表するワールドワイドの企業になっている。その過程で、ガスの供給のみならず、周辺で必要とされる様々な部材についてのリクエストや、課題解決の相談が増えてきたことを、木本社長はある時感じたと言う。そして今は、プラスアルファのリクエストに応えて付加価値のあるサービスや商品、そして知恵が求められている。しかしそれでは、負担が増えたことにはならないか?
「こうした状況はウェルカムです。リクエストが来るということは、将来のビジネスチャンスを見据えた顧客と"同じ土俵に上げてもらった"ということです。したがってトライアル&エラーが許されますし、失敗は知(血)・肉になります。逆に、リクエストされる会社にならないと、成長も技術の蓄積もできません」。
自由競争を勝ち抜く多彩な実績
産業用ガスは自由競争の中で強くなってきた業界だ。したがってライバルも多い。ライバルの動向は常に横目で見ていることは大切だが、それよりも、将来を見据えてチャレンジするお客様の動きを、いち早く察知して、その動きに辛抱強くついていくことの方が大事だと木本社長は話す。
「既存の事業領域から踏み出して、新しいことを始めようとする場合、お客様自身も最初は分からない部分が多いのです。例えば仮に、アマゾンや中国の河の水を使って電気をつくる事業計画を立てたとしましょう。しかし、日本では有効な機械をもっていっても、向こうでは使い物になりません。大量の砂や泥が混入していて水がまるで違いますからね。そういう意味では、重電系のお客様は非常に奥が深いです。何も分からないところから、あるいは、綿密な予備調査をしていても、予想外のことが起こって当たり前を前提にしてスタートするわけですから。そして、そうした状況に我々もついていかなくてはなりません。その結果、お客様が成果を挙げて初めて、私たちも同様に伸ばさせていただくということになるのです」。
このように、長年にわたる徹底した顧客重視のスタンスがJAXAから評価され、はやぶさ2へのキセノンガスの供給につながったのではないか。それとも別の理由があったのか。このあたりを木本社長に聞くと、「プライスに少し差があったくらいですよ」と言って笑い、木本社長はなかなか真相を教えてくれない。
JAXAは国の研究・開発機関である。当然ながら入札に至る経緯は口外無用に違いない。そこで、入札で競合した他社と、ウエキコーポレーションが供給したキセノンガスのクオリティの差について聞いてみた。
「変わりません。変わらないというのは、ハイレベルで変わらないということです。最初の質問に1つお答えするなら、まず、ガスを引いてくるプロセスが重要になります。キセノンガスに限らず希ガスは、世界中にその権利を押さえている人がいます。その人とパイプをもっている会社は、この業界で実績を積んできた会社で、しっかり安定供給もできる。プライスの話はそこからです。その点当社は、グローバル企業相手に多彩な実績を積んできましたので、そこが大きなポイントになったのは間違いないでしょうね」。
経営課題は世代間ギャップの解消
会社の実績を引き継いでゆくのが人である。そして多くの中小企業の経営トップはこの問題に頭を悩ませている。会社の将来を俯瞰した人材育成については木本社長にも悩みがあるようだ。
「昔は、社員も会社もキャラクターが強かったですね。そこがウエキコーポレーションの強みにもなっていたんです。ところが、今の若手にはそこまで個性的な人はなかなか見当たりません。また、ジェネレーションのギャップがあるからでしょうか、同じ日本語を話しているのに話がかみ合わず、コミュニケーション不足が顕在化しています。何処も同じと聞きますが、今後これは、大きな経営課題になるはずです」。
社会の風潮にも些か疑問を感じる、と木本社長は言う。「とくに若いころは仕事がやりたい時期ってありますよね。土曜日に出勤すれば電話は来ないし、あれこれ言う上司もいません。見積もりの作成や伝票の整理、ウイークデーに気がかりだった調べものなどをゆっくりやれたものです。ところが今は"働き方改革"に準じて、それを会社が制限しなくちゃなりません。また、若手はそれを無批判に受け入れて当然の権利と思っている。私たち世代からすると、ここはどうにも相いれない考え方の違いですね。こうした状況が当たり前になってくると、中小企業の競争力は落ちてゆく一方ではないか、そう私は危惧しています」。
半導体を超える新事業の確立を
アメリカの半導体専門調査会社IC Insights社の発表によると、2018年12月度の日本の半導体生産能力は、台湾、韓国に次いで第3位で、シェア率は16.8%だった。5割以上のシェアを誇った80年代とは比べようもないが、大きく目減りしているのは事実だ。しかしながら、クオリティの面では日本の半導体産業はまだ世界最先端を行くと言われている。ただ胡坐をかいてはいられない。ウエキコーポレーションの成長戦略を考えても、肝心なのはそこから先のことだ。
「半導体材料ガスの供給以外に、或いは、それを超える、確固たる柱になる事業を育て、確立しなければなりません。先ほどの話に戻るのですが、当社は今まで、産業用ガスの供給の周辺で、その付加価値になるような新しい事業に取り組んできました。新しいことに取り組めるポテンシャルを持っているわけです。今までも過去を参考にしながらやってきたわけですから、これからもやれるはずなのです。ただ、未来をつくるのは私たちではありません。今の若い人たちなのです」。
はやぶさ2のような、夢があって注目される仕事をいつもできれば越したことはない。しかし、現実はそれほど甘くはない。だからこそ今は未来を拓く力を蓄える時期なのだ。多くの事業の枝葉(新事業)をつくり、それを各々の人が分担し合いながら、当事者意識をもって育ててゆくことが、次代を築く礎となる。
■記事公開日:2019/10/28 ■記事取材日: 2019/10/09 *記事内容は取材当日の情報です
▼構成=編集部 ▼文=編集部ライター・吉村高廣 ▼撮影=田尻光久