デパートの屋上を突っ走る高速道路
昭和26年、戦後の銀座の復興と交通渋滞の緩和を目的に東京高速道路株式会社が設立された。渋滞の緩和計画は、銀座を囲む外堀、汐留川、京橋川を埋め立てて、高架の高速道路(通称KK線)を建設して銀座を迂回するルートをつくるというもの。その建設・運営費は、高架下に設けるビルの賃貸収益で回収する。これは今で言うPFI(民間資金等活用事業)の先駆けともいえる画期的な運営スキームの採用だった。
総延長約2kmの高架下には、14棟のビルがあり、このうち「銀座インズ(旧有楽フードセンター)」、「NISHIGINZA(旧西銀座デパート)」、「GINZA5(旧数寄屋橋ショッピングセンター)」、「銀座コリドー」、「GINZA9」の5社が一括テナントとしてビルを借りている。これらの中では、「銀座インズ」が昭和33年5月、「NISHIGINZA」が昭和33年10月と、ほぼ同時期に営業を開始。昭和36年1月13日の朝日新聞東京版の紙面には、当時の高速道路周辺の大変な賑わいぶりを、次のような記事で紹介している。
『西銀座のデパートの屋上を突っ走る高速道路。銀座の景色をながめるには手ごろとあって、晴れた休日の新数寄屋橋付近は鈴なりの人。駐車のついでにたたずむ人、人波見たさにわざわざ上がる人が次第にふえ、いまでは、走る車より横切る人間のほうが目まぐるしい日さえある』(GINZA OFFICIALより)。
有楽フードセンターから銀座インズへ
「銀座インズは日本のショッピングセンターの草分けと言ってよいでしょう。開業当時は『有楽フードセンター』という名称で、食にまつわる店舗が軒を並べていました。また、その頃としては珍しかった地方の名産品を取り扱う『名店街』もあり、連日おおいに賑わっていたそうです」と話す尾平和聰社長。冷静沈着な視座でビジネスの舵取りをするリーダーだ。
その尾平氏が「驚くことがあるのです」と言う。昭和33年の開業当時から、今なおこの銀座インズで商売を営む飲食店が2店舗もあると言うのだ。飲食店の業態寿命が創業30年超になると0.02%と言われることを考えると、都内の中でも競争が激しい銀座エリアにおいて、61年の店舗寿命というのは確かに驚異的だ。事業者にとってはそれだけのメリットがこの銀座インズにあったという証しにもなるだろう。
当時は今の東京国際フォーラムがある場所に東京都庁(現新宿区)が立地していたため、ウイークデーは都庁職員の胃袋を満たし、週末ともなれば全国各地から集まる"美味いもの"を求めて買い物客が押し寄せ、客足が途絶えることなく賑わいが続く最盛期だったと言う。
ところが、しばらくすると駅ビルや百貨店でも「食の名店街」ができはじめ、有楽フードセンターが「食の都」である必要性が薄れ始める。さらにバブル景気の到来により、有楽町駅周辺が活性化されたことで、消費者の年齢層や需要そのものが劇的に変わってゆく。
「そうした背景もあって、平成元年から2年にかけて大規模なリニューアルをおこないました。その時に百貨店の松屋が株主であったこともあり、1階にあった食料品店がファッション関連のテナントに入れ替わりました。同時に施設の名称も「有楽フードセンター」から「銀座インズ」へと変更し、新たなスタートを切った次第です」。
エポックメイキングだった有楽町の駅前再開発
平成3年には長年の"上得意"であった都庁が移転し、その直後にはバブル経済の崩壊を経験する。それでもつつがなく事業を継続させてきた銀座インズであったが、その後おこなわれた有楽町駅前の大規模再開発は、経営に大きなインパクトを与えることとなる。それが平成19年の「イトシア」の竣工だ。
それ以前、有楽町駅を起点として銀座に向かう人の流れは、有楽町マリオンの阪急と西武の間の通路を抜け、晴海通りに出て銀座へと向かっていった。ところが今は、もう一つの人の流れができている。有楽町駅からイトシアの脇を抜け、外堀通りと並行する銀座インズを通り抜けて、マロニエ通りへ至るというものだ。
「イトシアが完成するまでは、有楽町駅で降りた人が銀座に向かう流れが弱かったのですが、駅前の再開発によって銀座への動線が明らかに太くなりました。これは有楽町にとっても私たちにとっても非常に大きなエポックメイキングでしたし、私たちも恩恵を受けることになりました。」と尾平氏は言う。
「そもそも昔は、有楽町と銀座でライバル意識があったようです。銀座と言うと、どうしても敷居が高いイメージはあります。一方、そこまで堅苦しさを感じることなく、お買い物をしたり飲食できるのが有楽町です。本来はどちらも楽しい雰囲気の街ですが、常に対照的な立ち位置にあって反目し合ってきたわけです。気取りはないけれど、カジュアルに流れ過ぎてもいない銀座インズには、それを融合するポテンシャルがあると私はずっと思っていました。再開発による人々の流れの変化は、それを証明してくれました」。
テナントは「銀座インズ」の看板も背負っている
新型コロナによる国の緊急事態宣言発令に準じ、銀座インズは4月8日から5月31日までの約2か月間ほとんどの店舗が休業を余儀なくされた。ショッピングセンターの運営は、テナントからの家賃収入がなければ成り立たない。各所でさんざん話題になった「飲食業の家賃問題」とはどのように向き合ったのか。
「一部のテナントからは家賃や管理費などについての減額要望がありました。ただ当社は固定家賃のシステムなので、家賃を減額することは公平性を欠くと共に経営の根幹に関わります。したがいまして、共同管理費について、4月分の一部と5月分の全額を当社の方で負担。たいへん大きな痛手でしたが、そのような形でご協力させて頂きました。また、家賃の猶予については、テナントのご要望に出来る限りお応え致しました。ただこの問題はコロナが収束しない限り続くので、まだ決着がついたわけではありません。」
ショッピングセンターに入るテナントは、自分たちの店の看板を背負うだけではなく、その施設の看板も背負うことになる。したがって、ショッピングセンターからすれば、テナント次第で自分たちの価値を高めることになるし、その逆も然りだ。つまり、自分たちの力だけではどうにもならない栄枯転変があるのだと尾平氏は言う。
「コロナ問題でテナントが厳しい状況に追い込まれていると聞けば、いかにビジネス上の関係とはいえドライに割り切れるものではありません。だからこそ、最初にテナントの体力を見極めることが大事なのです。銀座インズに出店していただくことは嬉しいことですが、体力がなければ、いざ何か問題が起こった時に良好な関係が築けなくなってしまいます」。
銀座インズの事業ドメインは「お客さまに多用な価値を提供すること」だと尾平氏は言う。そのためには各々のテナントが輝いていなくてはならないし、今回のようなことが起こったとしても、お客さまに対して申し訳のないことにならぬような"体力と魅力"のあるテナントとのお付き合いが大事なのだ。
コロナ以前から培ってきた自己防衛の精神
銀座インズには多くの飲食店が営業しているため、衛生管理面についてはこれまでも常に細心の配慮をおこなって食中毒などに備えてきた。銀座インズにとって新型コロナはその延長線上に起きた出来事なのだ。日本での感染者が言われだすと、早くからアルコール消毒液を配ったり、館内の清掃・消毒を常におこない、クラスターをつくらない取り組みも迅速に実施した。
銀座インズでは施設内で営業する飲食店・食品取扱店の代表と銀座インズで組織する"銀座インズ食品衛生自治指導委員会"という内部組織を設けていて、定期的に保健所の"食品衛生"の講習や指導を受けるなどして、お客さまからの信頼と、自分たちの店を自分たちの力で守る"自主的衛生管理"の実践をおこなってきた。しかしながら、コロナの脅威は想像を遥かに超えていた......。
6月1日に東京の自粛は解禁されたものの、現状、第2波が来る可能性も否めない。そうした一方、今後は大車輪で経済を回していかなければならない。経営の舵取りとして、その辺りはどう考えているのか?
「基本的には、考えることもやるべきこともこれまでと変わりません。衛生の自治を徹底的におこなって、銀座インズからは絶対にコロナを出さないようにする。ここに尽きます。そのためには各々がより強固な責任感と当事者意識を持って取り組み、疲弊してしまわないことが大事です。それは各々のテナントはもちろんですが、銀座インズの社員一人ひとりにも同じことが言えます。コロナとの戦いはそのくらいの手強さがある。私はそのように認識しています。」
ビジネスに追い風!高速道路の遊歩道化
この先、いつコロナが収束するかは分からない。東京五輪は来年実施できるのか、もっと先で言えば、東京がどうなってゆくかすら皆目見当がつかない。働き方が変わるだろうと言われているし、街に出てくる人も少なくなるかも知れない。今は何もかもが不透明な時期ではあるが、最後に「銀座インズ」の今後のビジョンを尾平社長に聞いてみた。
「実はいま、東京高速道路を緑化して遊歩道にする整備方針案が検討されています。これは、日本橋を通る首都高速道路の地下化にあわせて、東京高速道路を緑豊かな遊歩道へと再生し、銀座にさらなる賑わいを創出しようというものです。計画案を見ると、単なる遊歩道ではなく人で賑わうプロムナードといった風情で、銀座の"新名所"となることが期待できます。銀座インズにとっては、新たなエポックメイキングであり、ビジネスの追い風になることは間違いありません」。
東京高速道路の遊歩道化が実現されれば、お客さまの顔ぶれも変わるだろうし、それに伴いビジネスの在り方も変えなければならないところがあるだろう。さらには、遊歩道にアクセスできるエレベータなどが必要になるだろうし、そのほか施設の設備的にも更新すべきところが出てくるだろう。銀座インズは銀座のニューウェイブに対応したビジネス改革が求められることは間違いない。ただそれらの変革は、必ずや未来の血となり肉となる。むしろ、不安や焦燥、閉塞感が漂うこの時期に、ショッピングセンターの草分けとして明るい未来を展望できるのは幸せなことではないだろうか。
「そう思います。だからこそ今のコロナを乗りきって、企業としての足腰をさらに強くしておくことが大事なのです。遊歩道計画の実現は早くとも10年先のことですが、10年なんてあっという間ですから」。
■記事公開日:2020/06/22 ■記事取材日: 2020/06/04 *記事内容は取材当日の情報です
▼構成=編集部 ▼文=編集部ライター・吉村高廣 ▼撮影=田尻光久