加速度的に成長した市場背景
ライブ・エンタテインメント調査委員会のレポートによると、2019年のライブ・エンタテインメント市場規模は、統計を開始した2000年以降で最高の6,295億円(前年比7.4%増)を記録し、特にこの10年は目覚ましい成長を遂げている。好調の要因は、第一に音楽業界の構造変化が挙げられる。この10年でサブスクリプションなど新しいサービスが台頭してCDショップはほとんど姿を消した。かつての音楽業界はCDを売ることが主たる収入源で、ライブやツアーはそのプロモーションという位置づけだった。ところがこの10年は、主な収益源がCDからライブに移行したことが大きく影響しているという。
この他、多彩なジャンルのフェスがオールシーズン開かれるようになったことや、アニメを軸にした市場に、作品の映画化からCD、DVD、ミュージカル制作に至るまでをワンストップでおこなう"製作委員会方式"という新しいビジネスの形態が生まれたことも市場規模拡大の要因になったという。これらに加え、YouTubeから生れたニューウェイブのイベントなどが登場して、加速度的に成長を見せてきたライブ・エンタテイメント市場だが、昨年来のコロナ禍で状況は大きく変わった。そうした環境下にあって、1999年の創業以来、インターネット専用のプレイガイド事業で存在感を示し、事業規模を拡大してきた株式会社イープラスはどう舵を切ろうとしているのか。管理部統括部長の土岐雄二さんにお話を伺った。
デジタル時代のエポックメイキング
イープラスがプレイガイド事業をおこなう上で一番の特長としてきたのは、業界初となる"プレオーダー受付"の導入だ。プレオーダー受付とは、コンサートやイベントチケットの一般発売に先立っておこなわれる抽選販売のこと。今となっては当たり前になったが、"インターネットブレイク"と言われる2000年当時は、デジタル時代の到来を告げる画期的な仕組みだった。
「それ以前のアナログな時代は、何度も電話をかけてようやく購入できるというのが一般的で、事業者サイドも顧客データを蓄積したり、ニーズを把握してビジネスに結び付けようという発想がありませんでした。ところが、インターネットを介したプレオーダー受付を開始したことで、ユーザーはチケット購入のストレスがなくなり、我々は顧客ニーズに合った事業展開が可能になりました。ちょうどその頃、インターネット回線がダイヤルアップ接続から常時接続に移行するなど、環境に後押しされた面もありますが、イープラスはこの波に乗り順調に業績を伸ばしました」と土岐氏は振り返る。
ところが、2000年代後半に入るとデジタル時代を加速させるエポックメイキングなツールが登場する。それがスマートフォンだ。スマホの普及はユーザー一人ひとりがネットとつながる環境を提供し、結果的にSNSなどの爆発的な普及と、CDからサブスクモデルの移行をもたらした。
「もともとインターネットは、流通における中抜きを促進する力がありましたが、スマホはより一層それを後押ししました。強力なコンテンツを保有するコンテンツホルダーが自分たちの手で顧客をネットワーク化して、チケットの販売はもちろん、あらゆる情報をダイレクトに提供してゆこうと考えるのは当たり前です。そうした流れの中で我々は、改めて"何をもって価値とするのか"を問い直し、導き出したのが、これまでのデータベースマーケティングをさらにブラッシュアップしてゆくことと、強力なコンテンツを自分たちで創り出してゆくことでした」。
横浜赤レンガ倉庫から新たな船出
4年ほど前からイープラスでは、クラシックを中心にしたアーティストのマネジメントをおこなっている。クラシックは潜在需要が非常に高く、幅広い年齢層にアプローチできるジャンルだが、これまでは、敷居の高さや高額なチケットが壁になって、ポピュラーミュージックのような普及が果たせなかった。イープラスはそこに着目した。
「現在、弊社でサポートしているのは、YouTubeで70万人ぐらいフォロワーがいるピアニストや、"純クラ"と言われている人たちとは一線を画しつつも、パフォーマンスに優れ、集客能力のあるピアニスト10名です。2018年、2019年には、横浜の赤レンガ倉庫の屋外で国内最大の全野外型クラシック音楽祭『STAND UP!CLASSIC FESTIVAL』を開催して大成功を収め、コンテンツ事業の新たな船出を飾る十分な手応えを持ちました」。(今年は5月3日にサントリーホールでの開催を予定)
また一方で、従来のプレイガイド事業にもさらなる磨きがかかり新しい展開をスタートさせている。直近では、3月2日から開幕したプロ野球のオープン戦で、快適かつ安心・安全に巨人戦を楽しめる観戦環境をつくるために、モバイルチケットから自動電子入場ゲート、飲食のモバイルオーダーまでスマホで完結できる仕組みをイープラスが提供した。
これにグッズ販売などのシステムが加えられれば、野球観戦で求められるサービスをワンストップで提供できることになる。つまり、イープラスはこれまで主力だったチケット販売を重点成長させるのではなく、業態そのものを変えてゆく方向に舵を切ったのだ。
ピンチとチャンスは背中合わせ
コロナが顕在化した昨年以降、音楽業界は長らくライブやコンサートができない状況が続いた。もちろんイープラスも大きな影響を受けている。しかし一方で、新たな挑戦をおこない、この1年間で脚光を浴びた音楽配信事業において、業界内シェアNo.1に近い数字を獲得している。逆風の中で、なぜこのような離れ業ができたのか。これについて土岐氏は次のように話してくれた。
「ライブ市場が大きくなる中で、チケットビジネスそのものがレッドオーシャン化しました。そのため何年か前から"いかにして新たな価値を創出するか"を真剣に考え始め、あらゆる畑に種まきをしてきました。その中には"音楽配信"もあり、ある程度アイディアが固まっていたことが1つのアドバンテージになりました。そして何より、全社的に"改革意識の土壌"ができたところにコロナが起こり、社員一人ひとりが自分のやるべきことを見つけて主体性を持って走ったことが大きかったと思います」。
この1年は、「一刻も早く音楽配信ビジネスを立ち上げなければ!」と、社員が一丸となってよく働いたという。個々が新事業に向けた高い意識を持ち、危機感すらも共有して皆が成果を出そうとしていたのだと。
若手は先輩の良い動きを見て参考にし、モチベーションの高まりや成長が手に取るように分かったと言う。
「ぬるま湯につかっていては、人も企業も育たないと確信した1年です。事業を変革しない限り生き残ってゆけないと、我々を立ち上がらせてくれたのはスマホの普及による市場構造の激変、より便利な機能への顧客や取引先の欲求、チケット業界の競争激化でした。そして、それをスピードアップしてくれたのがコロナだと思います。そのような意味でピンチとチャンスは裏表だと感じています」。
社会環境の変化は千載一遇のチャンス
「運が良かったのは、事業を見直すことを迫られて、そこから考えてきたことが、コロナをきっかけにして変化した社会環境とタイミング良く結びついたことです。普通の状態であれば、デジタル化がここまで早く社会に根付くことはあり得ません。しかしながらコロナによって、社会全体がピンチに陥り、やむに已まれずデジタル化の波に順応せざるを得ない状況になった。社会環境が味方してくれたところも多分にあると思います」と、話す土岐氏。
業態や抱える課題は違っても、同じように考える方や企業は少なくないのではないだろうか。例えば、リモート会議の導入などは、長らく推奨され続けてきたことだ。しかしながら、社会が安定している時にリモート会議を推奨されても、「パソコンで会議をするなんて無理だろう」ということになる。ところが今は、コロナ禍でそうせざるを得ない環境になっているし、事実、やってみればできるのだ。
「イープラスは、90年代のインターネット草創期から、このビジネスに関って、フロントランナーとしてずっと走り続けてきたと自負しています。しかしながら、これほど早いスピードで社会環境が変わったことはありません。これは千載一遇のチャンスだと思う一方で、世の中、何が起こるか分からないとも思っています。また、今我々は、"ピンチはチャンス"と考えられていますが、1つ選択肢を間違えれば、1歩スタートが出遅れれば、そのように感じられなかった可能性も十分にあります。そのことは肝に銘じておかなければいけないと思っています」。
■記事公開日:2021/03/24 ■記事取材日: 2021/03/05 *記事内容は取材当日の情報です
▼構成=編集部 ▼文=編集部ライター・吉村高廣 ▼撮影=田尻光久