人が集まればその場なりの"空気感"が生まれます。多くの社会人は、その空気感に順応しながら仕事をしているわけですが、場違いな発言や行動をする人がいるとその空気感が壊れ、コミュニケーションの分断が起こります。そういった原因をつくる彼ら彼女らの、最大にして最強の特徴は「自覚がない」ということ。空気が読めないと言われる人たちは、相手の声や表情の変化を察する術を持っていないため、他人から指摘されない限り「自分に問題がある」ということに気付きません。無自覚で悪気がないので改善しようとも思わない。その結果、周囲の人から「アイツは放っておこう」という扱いになっています。いかがでしょう。あなたに対する周囲の接し方を顧みて、なんとなく思い当たる節はありませんか? 今回は、場の空気が読めない原因に加え、空気を読む力を養うトレーニング方法を紹介します。
場の空気が読めない人の多くは、自分の話に熱中し過ぎるあまり、周囲の目や温度差に気付けていない側面があります。したがって、誰かがそれを指摘してあげなくてはいけない。しかもそれは一度二度ではなく、その都度何度でも、辛抱強く関わりを持っていくことが大事だと思います。つまり、ミラーニューロンの働き以前に、周囲の寛容さとその役割を担う人の存在が大前提。トレーニングの効果を導く必要条件になります。
その上で、お手本になる人を徹底的に観察して、立ち居振る舞いを真似てみる。とはいえ、相手の表情やその場の空気を察しながら、自分の話しをするというのは相当な訓練が必要で、トライ&エラーを繰り返しながらトレーニングの継続が求められます。つまり、空気を読めるように脳を働かせるための早道はない。それ相応の努力と周囲の理解が必要になることを考慮しておくことが大事なポイントです。
「空気を読む」と相似する言葉に「忖度」があります。近年は政治家絡みの"度を越した忖度"でネガティブなイメージで使われることが増えていますが、本質的には、相手の気持ちを推し量り、円滑に物事を進めようとする日本人ならではのコミュニケーションの在り方を示す言葉です。
同じように、場の空気を読むこと自体は善しとされているけれど、相手が望んでいないところまで深読みして、勝手なお膳立てをして悦に入っている残念な人も少なくありません。こうした人は、常に自分の話題が中心で、他人の話には耳を傾けようとしません。つまり、空気が読めない人と空気を読みすぎて失敗する人は「コミュニケーション障害」という点で一致しています。場の空気を読む力は、足りなくても、過剰に発揮し過ぎてもダメ。各々が「程ほどにおもんぱかる」ことが"良き場づくり"の基本と言えます。