室町時代の能楽者・世阿弥は、『離見の見(りけんのけん)』という言葉を残しています。これは、「上手く能を舞おうと思うなら、舞台と離れた場所から自分自身の舞いを客観的に眺められることが大事」というもの。つまり、優れた能舞台であるためには、自分の演技だけで精いっぱいになるのではなく、舞台全体を冷静に見渡して、演舞全体としてのベストパフォーマンスを発揮しなければならない。そう世阿弥は言っているのです。
こうした世阿弥の考え方を、ビジネスに置き換えるなら「俯瞰(ふかん)する力を持つ」ということになるでしょう。そしてこの"俯瞰力"が向上すれば、若手の皆さんの成長も自ずと加速していくはずです。
そこでまず肝心なのは"自分自身の立ち位置の見極め"です。仕事ができる人というのは、業務全体を俯瞰的に見渡すことができるため、優先順をつけて仕事をこなします。したがって、ひとりでこなせる仕事量も多くなり、業務の推進スピードを加速させます。
その一方で、目の前にある仕事の精度を上げることだけに注力する人がいます。こうした人は、自分の仕事以外は視野に入りません。もちろん、仕事のノウハウを覚える新人や、職人技が求められるような仕事ならば構いませんが、多くの場合ビジネスは、個人の力量が問われる"部分最適"よりも、プロジェクト全体を推進させる"全体最適"が求められます。つまり、チームの中での立ち位置を知り、自分がどう動けばプロジェクトは前進するか。ここを俯瞰的に考えられることが、ビジネスシーンで活躍し、評価される条件になります。
他者とのかかわりにおいても"俯瞰力"は大事なポイントとなります。たとえば、仕事で失敗した時の言い訳です。時と場合によりけりで、誰にだって言い訳をしたくなることはあります。ただそれが、他人への責任転嫁になっていたり、見え透いた嘘の積み重ねである場合、そこでその人の評価には1つ×がついてしまいます。また逆に、ミスを叱る方も、無暗やたらと大声を張り上げて怒鳴りつける人がいますが、こうした人についても、周囲は"残念な人"と見るでしょう。
つまり、他者に対して、思いつきやその場の感情で接してしまう人たちは、「自分のことしか考えられない人=俯瞰力が欠けている人」ということになってしまうのです。皆さんはぜひ"俯瞰力"を鍛えて、高評価を獲得できるビジネスパーソンへと成長してください。
俯瞰力を身につけるために必要なのは、何か事に臨むときは、常に"想像力"を働かせる習慣をつけることです。たとえば、書類作成を上司から依頼された場合は、「あの人の性格なら」と考えて、納期や体裁、さらには完成度までを推測するのです。こうした訓練は、対クライアント、対同僚、対家族と、さまざまなシーンで実施できます。肝心なことは、「こうすればいいだろう」という自分本位の思い込みではなく、あくまでも、相手が自分に「どう動いて欲しいか」を想像して、それを実行に移すことです。そうした訓練の積み重ねが、対個人の関係だけでなく、幅広く全体を見渡すことのできる"俯瞰力"につながります。
この原稿を書きながら頭をよぎったのが、将棋の羽生善治さんの言葉です。羽生さんは、三手先まで読んで駒を打つ場合は、相手棋士の立場に立って考えなくては正しい判断ができないとおっしゃいます。ところが、数十手、数百手先まで読む場合は、目の前の基盤を、鳥瞰・俯瞰して駒を進めるといいます。世紀の天才から"俯瞰"という言葉が出てくるのは、私のような凡人には考えが及ばぬ次元のこと。少なくとも、次の一手くらいは正しく読めるよう、物事を"俯瞰"してビジネスに次の一手を打ちたいと思います。